第9話




 地獄の秩序を乱すということが、ひいてはこの世界全体の均衡をも崩すということ・・・。それを一番ひしひしと感じているのは閻魔大王、
そしてそこに連なる王たちであろう。
 秘められていた過去、そのことに因(よ)りて連なる異変。
 鬼太郎にとって、試練を課すことになったことは因果のなせることだと分かってはいるものの、五官王は彼の性分を理解しているだけに、
苦笑を浮かべるしか無かった。
「閻魔大王様から鬼太郎が何か言い出すまでは黙っておくように言われているが・・・」
「しかし、時間があまりない・・・我々の力だけでは抑えが効かないでしょう。鬼太郎自身の力なしでは・・・」
 宋帝王は五官王の思いを感じ取りながらも、至言を答えるにとどめるしかできない。
「五官王・・・どうも私はあの鬼太郎がすべて合点しているように思えてならないのだが」
 執務室へと案内する時に見せた一瞬の表情を宋帝王は見逃さなかった。何かを心に含むような、秘めた思いがあるのだろう、と。
「やはりお主もそう感じるか・・・」
 一連の鬼太郎の態度は、察するに余りある。しかし、彼はあえて受け止めようとしていた――だからこそ余計な言葉などいらないのだ。 
「ともかく信じるしかない」
「閻魔大王様の御沙汰にお任せする・・・ということですね」
「こうしてはおられん」
 五官王はやおら立ち上がると、傍らの宋帝王に目配せし
「すまんが、後を頼む」
 足早に謁見室の方角へと進んでいく。落ち着かない足取りに、宋帝王は五官王の気持ちを慮るように見送ったのだった。





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 これは神の与えし試練だとでも言うのだろうか。 
 サマヤは涙が枯れ果てたかと思うまで泣いた。
 容赦なく畳み掛ける出来事に心がくずおれていく・・・しかし逆巻く波が次第に引くように、徐々に落ち着きを取り戻しゆるゆると立ち上
がった。
 顔を上げた先に、見知った景色が涙で滲んだ瞳に飛び込んでくる。王宮の裏に面しているこの庭から、寝殿の渡り廊下が見えるのだ。
ここへ来れば母があの廊下からいそいそと駆け寄ってきてくれたものだ。そんなことを思い出しながら、サマヤは呆然と眺めていた。
 やがて話し声が耳に届くのと共に、ゆらりと人が動くのが分かる。
 うやうやしく目上の者へする最上の拝礼をする男――。デーヴァである。両の手には薬壺らしきものをしっかりと携えているようだ。
 以前、旅回りの医者から聞いたことがあった。漆黒の鈍い艶のある壺は薬かあるいは儀式に使われる秘薬のどちらかだと。
 サマヤははっと思い至る。頻繁にアジャータとの密会にも使われているのでは・・・日増しに顔色の悪くなっている現王の様子を思い出
すに、そう思わざるをえないからだ。
 何かにせき立てられるかの如く続く、先代王との交代劇・母である王妃の幽閉――。
 アジャータは自発的に動くような性格ではない。何くれとなく周りの者が世話をする生活をする彼は、王となり昔よりも内に籠もるような
少年へと変わっていた。サマヤを疎ましさから何度も冷たく尖った態度を取り続けているのも、その立場から成せることであるのだ。
 だが、二人の間を取りなそうとする母をあそこまで邪険にするなど、初めてのこと。
 サマヤは今までのことを振り返りながら、じっと考え込む。
 おかしい――。直感でしかないが、アジャータの言葉尻も何故か引っかかる。背後から見えない力により操られているとでも言うような
嫌な感覚、そう捉(とら)えてもいいやもしれない。
 やがて姿の見えなくなったデーヴァが向かう先が何処であるのかを察したサマヤは、突き動かされるように走り出した。


 日の光が入らない暗室には、独特の雰囲気が漂う。
 部屋の中に設(しつら)えられた祭壇に、その上雑多な呪い道具が並べられ、中央には銀の香炉すき間から護摩を焚いているのか、
絶え間なくゆらゆらと煙が立ちのぼっていた。
 低く朗々と太い男の声がこの空間に行き渡っている。声の主は重苦しい程の黒く裾の長い衣を着たデーヴァであった。
 手を合わせ、また印を結びながら一心に呪術を施しているようである。

 

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「この声・・・あの時聞いたのと同じだ」
 夢の中で、ゲゲゲの森深くに鎮座する地獄岩の側で耳に響いてきたものと同じ声。鬼太郎は思わずぽつりと呟く。
「・・・鬼太郎?」
 ネコ娘は鬼太郎の声が耳に届き、小首を傾げた。身じろぎせずに鏡を見据えている横顔をちらりと見るが琥珀色に包まれた髪が
こちらを振り向く事はなかった。
 気の遠くなるような過去の世界の少年を見ながら、ネコ娘は胸の奥がチリチリと痛むのを感じていた。そしていたずらに言葉を挟む
雰囲気でないのを察して、口を引き結んだ。


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 慌ただしい足音がやむのと同時に、暗室の帳(とばり)が引きあがる。
『デーヴァ!アジャータ様をどうするつもりだ!』
 怒りに駆られ、もはや敬称など忘れて儀式用の衣を身にまとう男の背中に向かってサマヤは叫んだ。
 その声が届いたのか、どことなく挙措(きょそ)を失ったかのように見えるのは、やはりやましい部分があるのだろうか?振り返った
デーヴァの険をおびた表情がすべてを物語っている。
『・・・サマヤか』
 逆光の中に立つ少年を見、ふっと肩を落とす。
『母親恋し、で泣いていたんじゃないのか』
 裏庭での泣き声を聞かれてしまったのか、とサマヤはどきりとして口ごもる。
『まあ、いい。使用人のお前がどうしてここに来る?早く戻れ』
『デーヴァ、話がある』
 気を取り直し、意を決したように構わずサマヤは部屋へと入った。
『言っておくが、先代王を助けろなんて願いは王様へ頼むのだな。私には関係ない』
 何と言うことか。自分が口を開くより先制されて、やや気圧されたが負けじと
『お前がこの国に来てから、アジャータ様の様子が変わったんだ。今までも意固地な部分もお有りだったけれど、最近のアジャータ様
はまるで違う。側にいるから分かるんだ』
 答えずにあきれ顔で肩をすくめるデーヴァは、サマヤを空気の如く無視を続ける。が、沈黙に飽きたのか
にやりと含みのある笑みを浮かべ、語り出した。
『私の故郷の国は吹けば飛ぶような小さな国だった。大国の属国としてペコペコ頭を下げる王にいらだちを覚えたもんだ。せせこましい
こんな国など見切りを付け、私は大きな権力というものはどれほどのものか知りたくなった・・・余所の国を転々としていた時、ラージャ
グリハにたどり着いたのだ』
 何故ここでこの男は自分の生い立ちを話すのだろうか。サマヤはじっと耳をそばだてていた。
『この国は他のどの国よりも強大だということは知っているだろう?』
『それが、どうした』
『このラージャグリハは侵略国家と言っても良い。おかげで先代王は男子に恵まれず、あげくに仙人の呪いまでかけられた。もうじき先代
王の命も尽きるのも近い。容易かったよ、王子を丸め込むのは』
『王子は・・・アジャータは本当は素直で優しい子なんだ。それにつけ込んだのか?僕を遠ざけ、王様、母上を投獄させ都合の悪いことは
封印しようとした』
『・・・そこまで分かっていて私の所へ来たのか。さすが元王子様だ』
 あからさまに弄(いら)う口調に、サマヤは思い切り不快感を示した。口を真一文字に結び、睨む少年にデーヴァは一瞥を流すと
『嫌っているのではなかったのか?王子を』
『どんなことがあっても僕の弟だ!だから・・・』
 声を震わせながら言うサマヤを、鬱陶しげに男は右の掌で制しふっと笑う。
『お前なら分かるだろう・・・と思っていたのだがな。蔑(さげす)まれ、疎(うと)まれてきたお前ならば、一度でも実権を握り、世界を掌握
(しょうあく)したいと思うだろうと』
 サマヤはきっぱりと否、と首を振った。
『そのようなことなど・・・これっぽっちも考えた事なんて無い!僕は陰となり、母上と弟の幸せな姿を見れればそれだけでいい、そう思っ
て生きてきた。それを・・・それを壊したんだ・・・許せない!』
 言葉としてこの思いを口に出すのは、本当ははじめてだ。ずっと心の奥底で大切にしてきた気持ち。素朴だけれど、ささやかな願いだっ
たのだ。
『これ以上アジャータに罪を重ねさせようとするのなら・・・お前を力ずくでも追い出す!そうしなければ、弟は一生救われない』
 心からの真摯な叫びに対し、デーヴァは間髪を入れず堰(せき)を切ったように大きく肩を揺らしながら嗤(わら)い出した。憫笑(びん
しょう)とも取れる高笑いは、ますますサマヤの神経を逆なでさせた。
 そして、目に飛び込んできた祭壇脇の台に置かれた黒ずんだ銀のナイフを掴み、青眼に構えた。武器など持ったことは無かったが、
目の前に居る者を威圧させようと必死だった。
『誰も護らないのなら、僕が護る・・・デーヴァ、すぐにここから出るんだ!』
 じりじりと間を詰め、嗤(わら)い収めてこちらの手元を見つめているデーヴァに迫る。それにも動じず、男は言う。
『お前が出て行けと言っても、王は許さぬだろうよ。何しろ私に心酔しているんだからな』
『・・・どういうことだ』
『王には【呪い返しの秘術】をお教えしているのさ』
『呪い返しの秘術・・・?そんなものがあるのか』
 きくだに禍々(まがまが)しい響きの名前に、サマヤはごくりと嚥下(えんか)した。
『先代王に恨みを抱かれている・・・それが堪えられぬアジャータ王は、自分の背負う仙人の呪いを無くしたいと私に頼んできた。どんな
方法を使ってでも、とな。だから教えたのだ』
 問わず語りにデーヴァは続けて
『恨む相手から掛けられた呪いを解き、相手にそのまま返す術・・・まあ、言葉を聞けば分かろうがな』
『何故お諫めしないんだ。そんなの、何の解決にもならないじゃないか。呪術はこの国では禁止されてるはずだぞ』
『おいおい、今はアジャータ王の時代だ。王様のご命令とあれば掟などいくらでも変えられるのだ。いつまでも先代王の時代ではない』
 確かに、今はアジャータの言うがままにならざるをえないだろう。しかし、負の呪いなど即刻やめさせたい。サマヤは切歯扼腕(せっし
やくわん)な思いでぐっと奥歯を噛みしめた。
 絞り出すように、
『それで・・・邪魔になった王様、母上を投獄するように指示した、という訳か』
『ふっ。指示などするか。ご自分から命令されたのだ。お妃もおかわいそうに。もうすぐ処刑なさるやもしれないなぁ』
 まるで他人事の口ぶりに、サマヤは一気に気色ばむ。しかし、おもむろに銀のナイフを持つ腕を降ろし、深々と頭(こうべ)を垂れた。
 あの時の母の悲痛な姿が目に焼き付き離れてはいない。母との密会を交わす度に、アジャータへの思いや自分への愛情・・・白い手
のぬくもりも消え去ってしまうのか。胸の奥からこみ上げる切なさに流されそうだ――。けれど、自分に出来る精一杯なことは・・・
『デーヴァ・・・どうしてもその秘術をやるというのなら、代わりに僕が受ける!だから幽閉された王様、王妃さまを助けて欲しい』
『さあ、どうかな・・・?』
 震える声音でそれでも懸命に頼み込む少年に、デーヴァは知らぬ顔でさらりと受け流す。
 ・・・もう、自力で母を助けるしかない!心にズキンと射貫かれたような衝撃を覚え、サマヤは瞬間体中の熱が猛り立つのを感じた。
――これ以上ここに居たくはない。
 顔を上げ、手にしていたナイフを丁寧に祭壇の脇に置くと、無言で足早に部屋を出たのだった。



 
 華やかさとはかけ離れた空間へと赴く少年の頭上に、闇夜には似つかわしくも寂しげに光る立待月が照らし出していた。サマヤはまだ
光を失わないその月を見上げると、祈るように小さく頷く。

 これまでの周囲の仕打ちなど、母の微笑みを見ることさえ出来ればどれ程でも堪えられた。自分を思ってくれている仲間もいた・・・。
けれど間にも出来ぬまま手をこまねいていることはサマヤ自身が許せないのだ。
 すでに後戻りは出来ない、さりとて戻るつもりもない。
 背負うものも捨てるものも、何一つないのだ・・・サマヤにとって母を救うということは、自分自身を取り戻すことでもあった。抱えていたも
のをすべて放り投げる覚悟で、否今は己の気持ち一つ赴くままに一歩、力強く踏みしめる。
 悲壮に満ちた双眸は、まっすぐに強固にそびえ立つ牢獄へと向けられていた。
 その決心を推すかのように背中へと吹きつける風が煽りたてるが、それにもびくともしない石積みの楼閣は彼方の天を突き通しているか
のように感じられた。

 手にしていた太い麻縄を胴に巻き付け、しっかりと結びつけた。縄先に付いた鉤(かぎ)をたわませながら思い切り上へと投げると、弧を
描いて石造りの出窓の飾りにぴたりと食い込んだ。それを確かめるように何度か縄を引いてみるが、これなら大丈夫だろう。
 下を向くことを躊躇われる状態のまま、サマヤは両手を壁にかけよじ登りはじめた。これしか方法がないと焦れば焦るほど、指先にぐっと
力が入る。
 横殴りの風が黒髪をうるさい程になびくのも構わず、一心に母のいる最上階を目指していく。
 正攻法では助け出せないだろうと考えてのことであったが、月夜の光は彼の思いとは裏腹に裏切りを映し出してしまうのだった。



『何をしている!』
 階下で闇を裂くかの如く、誰何(すいか)する野太い男の声が響いた。
 篝火を手にした兵士たちが一斉に集まり、天を仰ぎたった一人の少年を凝視している。この者たちの誰かが知らせたのだろうか。
 今にも周りを燃えつかせるような赤々とした炎の群れと、武器を携帯する男等の険しい姿がはっきりと映る光景は、サマヤには目には
届かない。だが登っていく手を休めることはなく登る少年にとって、すべてをなげうってでも成し遂げたい思いに揺らぎはないのだ。
 ややあって、一団の兵士が一斉に真っ二つに整然と分かれた。アジャータ王そしてデーヴァが悠々と彼らの前へ進んでいく。その余裕
振りからサマヤのしでかしたことだと分かっているかのようである。
『牢破り、か』
 アジャータは身分違いの兄を冷めた眼で見つめながら、嘲笑混じりに呟いた。
『やはり思った通りでしたな、陛下』
 してやったり、とばかりににやついた笑みを浮かべるデーヴァは少年王に合点した。あらかじめアジャータに告げ口をしていたのだ。
『見つからぬとでも思っていたのか、莫迦な奴だな・・・』
『どういたしましょうか、陛下』
『無論、侵入者として捕えよ』
『御意』
 デーヴァは王へ恭しく礼をすると、ぐいと頭を上げ壁に張り付く少年へと声を張り上げた。
『サマヤ!お前はすでに包囲されているのだ、観念しろ!』
『・・・嫌だ!王様がこれ以上罪を重ねて欲しくないだけだ!王妃様を死なせてしまったら、ブラフマン(注1)の教えに逆らうことになる
んだ!そんな事はさせない』
『私を咎人(とがにん)扱いするのか、生意気な』
 頭上からの兄の言葉に、アジャータはこみ上げる怒りを抑えきれずに吐き捨てる。
『もう良い!矢を打て!引きずり下ろせ!』
 地面を力一杯踏みしめ、腹の底からの怒号を上げすでに弓を構えていた兵士たちに命じた。情け容赦なく腕に覚えのある者の矢は、
たった一人の少年を確実に狙ってくる。
『何が罪だ!私の何が分かるのだ。デーヴァ、あやつにあの秘術を施せ!そうしなければ、私の気がおさまらぬわ!』
『よろしいのですか』
 だだっ子のような言い草に、デーヴァは内心呆れながら問うた。思ったより事がうまく運んだものだと密かにほくそ笑む。
『あいつは父上の代わりにお前の呪い返しを受けると言ったのだろう?私はお前さえ居てくれさえすればいいのだ』
『恐悦至極でございます、陛下』
 大袈裟にかしずくデーヴァに、アジャータは満足げに頷いた。王とはいえ、年端のいかぬ子供なのだ。頭をいくら下げようが大したこと
ではない。デーヴァはこれまで彼に従ってきたのだから。
 こうする間にも、次々に楼閣の壁へと狙う弓矢は、サマヤの足元へ次第に命中していた。
 鋭い鏃(やじり)が皮膚を突き、鮮血があふれ出る。痛みにはずっと昔から慣れているサマヤであったが、地上での戦う男達の威圧が
体中に迫ってくるのを感じて、心の臓が早鐘を打っていた。
『・・・サマヤ。悪いがお前には犠牲になってもらう』
 デーヴァはふっと鼻で笑うと、漆黒のマントの中から薄紅色の原石を取り出した。その紅水晶は、唱する呪文に呼応するように、仄かに
光り出す。
『サマヤ・・・お前は未来永劫、輪廻に外れた闇の世界に落ちるのだ!もしも次に生まれ変わる時には、醜い墓の下からにでも、生まれ出
るがいい!』
 瞬間、天を目指す少年の体が硬直した。時間が永久に止まったかの刹那――複数の矢はサマヤの背中を貫き、糸の切れた傀儡(くぐつ)
のように落下していった・・・。

 
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「えっ!」 
 唐突に浄玻璃の鏡の映像がぷつりと途絶え、ネコ娘は驚いて声を上げた。
「あんなに一生懸命だったのに・・・ひどい」
 知らぬ間に大きく見開いた瞳からこぼれた涙が、頬を伝う。たまらずに長椅子から立ち上がると、両手を胸に当て、ぎゅっと握りしめた。
 長い時間が経っているかと錯覚してしまうほど、息を詰めて見つめていただけに深い余韻が心の中に沈み込んでいく。
 助けてあげたい・・・と鏡に向かい、何度も強く思ったことだろう。けれど、過去の事実は変えられないのだ。大人の理不尽な世界に巻き
込まれた少年は、どうしているだろう・・・?
 閻魔大王から聞いていた後悔の言葉の意味がやっとわかり、どうしても溢れ出る雫は止まらなかった。
「・・・ネコ娘」
 鬼太郎は嗚咽するネコの少女の背中を見ながら、そっと呼びかける。ふるふると首を振るネコ娘は、懸命に涙を拭うと、やっとこちらを
振り返った。
「ほら、僕はここにいるよ?」 
 柔らかい笑顔を見せる鬼太郎は、優しく肩を叩いた。ネコ娘は安心させるように微笑むその顔に安堵し、はっとした。
「・・・あ」
「あれは、昔の僕なんだ・・・信じられないけどね」
「うん。私も・・・全然別の男の子だって思っちゃうけど・・・でもあれが過去の鬼太郎なのね」
 無言で頷いた鬼太郎は、浄玻璃の鏡に視線を移しながら
「何となく分かっていたんだ・・・あの倒れた日に聞いた声、それから・・・」
「鬼太郎、ネコ娘。いいですか?」
 不意に扉の向こうから宋帝王の声が掛かった。返事を返す間もなく、扉が開き馬頭を従えた宋帝王が入ってくる。
「過去については承知しましたか、鬼太郎」
「はい」
「では、閻魔大王様がお待ちです」
 短い会話だけで、すでにこの地獄界が緊迫しているのが二人には分かった。
「鬼太郎・・・」
「大丈夫だよ。閻魔大王様からのお話を聞こう」
 呼びかけるネコ娘の不安げな表情を見て、鬼太郎は緊張感を帯ながらも小さな声で答えた。

 宋帝王の後について歩く二人の陰は、目の前に危機が差し迫っているのを密かに訪れることを示しているかのようであった。





                                                       




注1・・・ブラフマンとは、梵天ともいうヒンドゥー教の神様のことです。親を殺すと言うことは、他人を殺してしまうより罪が重いという教えを指しています。サマヤは信心深い子だったのかもしれませんね。