第10話





 この地獄から、天の輝きを見つけることは出来ない。鉛色の風が柔く、時には一陣の大風となって吹きすさ
ぶのみ。異変が起こる前と同じ風景なのか、それとも変化がもたらされているのかわからない。
 再び謁見室へと向かう廊下の窓から流れてくる生暖かい空気を肌で感じながら、鬼太郎は前を歩く宋帝
王へ呼びかけた。
 その声に王は応えるように歩調を緩めて立ち止まり、振り返る。
「宋帝王様は、僕のことを知っていたんですか?」
 真意を汲み取ってくれるであろう、と期待を寄せての質問である。気持ちのどこかで複雑な部分を納得さ
せたかっただけ。自己嫌悪しながらも、どうしても訊いてしまいたくなったのだ。
 宋帝王はこちらをじっと見つめ、一呼吸置くと口を開いた。
「・・・・知っていた、と言えば満足かな?」
 返ってきたのは曖昧な回答。しかし鬼太郎にとってそれだけで十分だった。そっと目を伏せ、湧き上がる動
揺を沈めようと努めた。
「鬼太郎、辛いの?」 
 傍らにいるネコ娘は不安げに問うてくる。彼女なりに心配してくれるのは有り難く感じるが、見透かされるよ
うな心地でやんわりと首を振り
「いや・・・そうじゃなくて。ごめん、ネコ娘」
ぽつりとそう謝るだけで精一杯であった。


 

        *                  *                    *




 二人は広々とした謁見の間の中央までたどり着くと、改めてここの雰囲気を覚った。
 ずらりと並んで座する十一人の王等の視線は一心に自分達に向けられているのが分かり、俄(にわか)に
緊張してくる。
 中心に位置する閻魔大王は、先刻とは変わって淡々とした面持ちである。その様子に、鬼太郎はこれから
のことを思い、ただ圧倒されてしまいそうであった。

「どうだ?昔話を観て」
 閻魔大王が促す言葉に、返事は決まっていた。
「・・・正直、まだ信じられない部分もあります。でも、自分自身の事だから受け止めようと思いました」
 ほんの少し声が震えているのを自覚しながら、鬼太郎は静かに答えた。そう言いながら心の奥には裏腹に
まだ眠りから覚めたばかりのようなぼんやりとした拭えぬ違和感を残したまま。だが、時を止めることが出来な
いのと同じく、このまま留まってはいられない――。 
「そうか。お前にとっては酷だったかもしれぬが、この異変は先に話したとおり、お前との関わりが大きいのだ」
「はい」
「霊石は不自然な力が加えられておる。その力は阿修羅界からによるものだったのだ」
「・・・・阿修羅界?」
「過去の鬼太郎の霊魂を闇の世界へ葬ろうとした者・・・デーヴァは阿修羅界へと堕とされた。気の遠くなるよ
うな時をかけて封印が解けたらしいのだ」
「それって・・・生き続けていたってこと・・・?」
 思わずネコ娘は眉を寄せながら呟く。
「生きている、と言うのは語弊(ごへい)がある。存在は六道の中を巡るだけで、即ち輪廻の道を外れることは
ない」
「輪廻の道・・・地獄だけが死者の逝く所だと思ってたのに」
「いや、そうではない。地獄界よりも険しい世界、それが阿修羅界なのだ。地獄は罪人を裁き、反省をさせ
る場所。しかし阿修羅界はさらに闘争と混沌、統率する者もなくひたすら他者との安らぎを見いだせぬ者の
行く場所なのだ」
「それで・・・この地獄へは堕ちなかったのですね」
 つと鬼太郎は言葉を挟むと、大王は軽く頷き
「わしも油断しておった・・・もはや抜け出すことはないであろうと思っていたからな。地獄よりも最下層に位置
する阿修羅界に墜ちるものは少なくないが・・・」
 この八大地獄よりもさらに下を往く場のことなど、今まで考えたことはなかった。雲を掴むような、無明の世
界は何の想像もつかない。
「先の西洋妖怪の襲撃の所為で、地獄と他の六道世界の均衡が崩れた・・・というのが我々の見解だ」
「そうですか・・・」
 やはり何らかの影響があったのだ。と思うとこれ以上悩んでいる余裕などないのか・・・。
「霊石を守らねば人間界も危ない。それを阻止出来るのは鬼太郎だけなのだ」
「・・・・僕に直接関係がある、というのはやっぱり――」
 あの過去世で対峙していた男が、今の時代でも『縁』という厄介な見えない力で絡まり合うのかと思うと、
胸の奥から混沌とした不快感を覚えた。
 地獄岩での一件から、まさかと訝(いぶか)しく感じ続けていたものの何もかもが合致する。認めたくはない。
そのまま振り払えるのであれば、振り払い無関係なのだと叫びたくなる気持ちを抑えていた。
「そうだ。再度地上に登り野望を達しえんとする時、昔のお前が関わった故に否応なしに向かってくるだろう」
「・・・そんなの、逆恨みじゃない!」
 たまらずにネコ娘は悔しげに口を告ぐ。自分の事のように感じているのであろう、と分かるほど少女の表情
は鬼太郎同様に堅かった。 
 閻魔大王は彼らの気持ちを慮るが、直接力を貸すことは真の解決には至らないことは明白で、甘い言葉
を掛け慰めることはなかった。
 その他の王達も同じく、ひたすら大王と少年等の会話を聞くのみである。どんなことでも大王の意志に従う
のが地獄の定石であった。
 二人の様子をしばらく傍観していた大王は、小さく息を吐くと再び口を開いた。
「お前達の気持ちは分かるが・・・我々はこの地獄界を最大限守らねばらならぬ。お前達の世界は鬼太郎そ
して皆で守っていって欲しい」
「はい、閻魔大王様」
 これまでの永き間、閻魔大王からどんなにか慈しまれてきたのかは言葉の端々から感じられた。たとえ厳し
さを持ってしても余りあるのだと覚った。
「それから・・・お前に条件がある」
「何でしょうか?」
「これから先、戦いとなれば地獄の鍵を使うときがこよう。しかし、獄炎乱舞は使ってはならぬ」
「・・・!!どういうことですか?」
 敵と対抗するための究極の奥義、それを先んじて止められるとはどういうことなのだろうか。
「地獄の業火というのは、何も敵を焼き尽くすというだけではないのだ。業を燃やす為のもの。業を絶やそうと
する慈悲の心を持つものが許される炎・・・軽々しく使えるものではないのだ」
「でも・・・」
 今まで無断で何度も使ってしまうことを改めて咎められているようにも思えた。そして制限を受けるのもはじ
めてのことで、戸惑いもあった。
「阿修羅界の業火も同じ、拮抗(きっこう)する力である以上、周りを苦しめるだけとなろう。そうなれば鬼太
郎・・・お前の望むべくもなかろう」
「はい」
 知らなかった地獄業火の本当の意味・・・。鬼太郎は胸に秘められた地獄の鍵の在処を右手で掴んだ。
「ネコ娘・・・今までありがとう。一人でここまでこれなかったかもしれないな・・・横丁に戻ろう」
「うん。早くみんなに知らせなくちゃ!」
 二人は顔を見合わせ目配せをした後、閻魔大王等に向かい深々と礼をしくるりと踵(きびす)を返した。
 扉を目指そうと数歩歩いた彼らの頭上へと、突然の妖気が舞い降りてくる。白い布の妖怪である一反もめ
んであった。
「一反もめん、どうして?何で来たの?」
 ネコ娘が驚いて訊くと
「横丁に五官王様がきんしゃったとよ。迎えに来たばい」
 そう言えば謁見室には五官王の姿はなかった。わざわざ五官王は横丁まで出向いてくれたらしい。しかし
何故?と鬼太郎は思った。
「親父さんも一緒たい」
 そう一反もめんは得意げに言うと、二人の足元にふわりと浮かんだ。
「すまんのう、一反もめん」
 布目の先から響く甲高い独特の声。目玉の父は器用に彼の体から飛び降りると、大きな頭をぐいと息子
の方へ向けた。待ち焦がれているような、そんな表情であった。
「父さん・・・・!」
 本当に久しぶりに見る父。鬼太郎にとって、隔たりのような長い時が過ぎたと錯覚を覚えるほどであった。
「・・・鬼太郎」
 呼びかけられ、どうしようもなくこみ上げてくる父への思いが、張り詰めていた心を瞬時に緩ませる。これ程
真情の溢れる姿を今まで見たことがあっただろうか、と深く思う。
「すべて五官王様から話は聞いた・・・・本当にお前は優しい子じゃ」
 父の言葉を常によりしろとしてきた故に、じんわりと胸の奥へと響いていく。
「父さん・・・・すみません。僕は・・・・」
 知らぬうちに瞳から零れ出る涙で、鬼太郎はこれまでの出来事を受け入れねばならないのだ、とはっきり感
じたのだった。そして憚ることなくがっくりと膝を折り、両腕の力が抜けたかのように両手をついた。
 目玉の父にしばらく会わずにいただけなのに、こんなにも安堵している自分に驚きながらも、顔を上げること
なく訥々(とつとつ)と思いを吐露していく。
「ずっと、父さんと同じ妖怪だって思っていたのに・・・それなのに、どんな顔をして父さんへ言えばいいのか分か
らなかったんです。人間として生きてきた・・・そんな僕のことを父さんは許してくれるのか、怖くて・・・・」
平素から期待をかけられている、身にしみて分かっているからそこの葛藤が鬼太郎の魂魄(こんぱく)を束縛
していたのだ。 
 冷たい石の床から少年のくぐもった嗚咽が漏れる。目玉の父は、いそいそと駆け寄り息子の艶のある琥珀
色の髪をそっと撫でた。
「お前がそこまで思い詰めるとは・・・いいんじゃ。わしも悪かった。前にも言ったが、わしにとってお前は大切な
息子じゃよ。どんなことがあってもな」
 父には強く強く『信じていて欲しい』と願った。嫌な予感が胸中を占めている間も、きっと父は自分以上に
心を痛めているのではないか、と思えばこそであったのだ。
「そうよ・・・鬼太郎は鬼太郎じゃない。何にも変わらないわ」 
 ネコ娘は言葉少なに自分の事を気遣いながら、本当は心細かったのだろうと思うと、声を掛けずには居ら
れなかった。
 鬼太郎は二人の言葉に応えるようにおもむろに顔を上げた。
「鬼太郎・・・お前が思うよりも親という者の絆は深いもの。父を大事にな」
 優しさに満ちた閻魔大王からの言い添えに、やっと表情を緩ませた。目の前に居る父に向かって手をさしのべると、
当たり前のように指先からよじ登り、すっぽりと掌に収まった。
「すみません。もう・・・迷ったりしません」
 胸襟(きょうきん)を開いたお陰で心の澱もなくなったようだ。鬼太郎はやおら立ち上がると、改めて皆を見渡し小さく
頷いた。
「ごめん、ネコ娘」
「いいの、だって・・・私だって辛いもの。鬼太郎がひとりで抱えてるのは」
 もし自分のことであったら・・・と考えれば、きっと同じ気持ちだった、と思う。ネコ娘はそっと彼に笑いかけた。
鬼太郎も――幽霊族の少年は、久しぶりに彼女に笑顔を見せたのだった。