第7話



「暑ーい!!」
 アブラゼミがそこかしこに鳴き続ける横丁の一角で、至言とも取れる叫び声を上げたのはアマビエ であった。
「ああ、暑い暑い、分かってるよ・・・」
 結局いつも付き合わされるカワウソは、投げやりになりながら大げさな程にため息をついた。
「さっきトコロテンが欲しいって言ってたばっかじゃんか・・・」
 先ほどのトコロテン騒ぎから辟易していたところである。刺すような暑さから逃れようと、木陰にも たれ掛かりながら
やっと静かになったと思っていたが、隣に居る彼女の行動に目が離せずにいるのだ 。
「こうなったら、カキ氷だよ!カワウソ!行こう」
「は?」
「もう、こうなったらお腹壊してもいいから食べる!」
アマビエはそう断言すると、まっすぐに長屋へ戻っていく。
「ほら!カワウソも一緒に〜」
 振り返り大きく手招きすると、尾びれを振りながら得意げである。仕方無しに、ついて行くが確か に自分も冷たいもの
が欲しくなってきた。元来、暑さには弱い妖怪なのだ。冷たくて気持ちのいい 氷は今もってこいのおやつであった。


「おばば〜!」
 話を済ませ、しんみりとした目玉の父達の雰囲気の中を破るような声が聞こえてくる。 
 バタンと勢いよく木戸を開けると、アマビエは驚いている面々の様子など気にも掛けずに部屋へ 入った。
「ねえ、おばば〜氷ちょうだい!カキ氷するから」
「おいらも〜」
「なんじゃ、騒々しい。今大事な話をしているところなんじゃ」
 少女のようなアマビエの姿を見ると、砂かけ婆は振り返りながら立ち上がる。追随するカワウソも 同様であった。
「シロップは冷蔵庫にしまってあるからのう。自由に使いなさい」
 二人の様子に、やっと緊張の糸をとぎらせ、ふっと笑顔を浮かべた。
「わ〜い!おばば、練乳ある?」
「そんな贅沢なものはない。この間つるべ落としの店で買っただけじゃ」
 その言葉に、アマビエはぷうと頬を膨らませたが、それでも大好きなイチゴ味のシロップを手にご満 悦の表情を見せていた。
「・・・無邪気でいいのう」
 部屋の隅で小さく座る目玉の父はぽつりと呟く。何事もなければ、ただの日常のひとコマに過ぎな いのだから・・・。 




          *           *          *



 鬼太郎とネコ娘は変わらず、過去の記録と向かい合う時間を過ごしていた。

 ただ側にいるだけで良いといってくれた鬼太郎へ何もかける言葉が見つからないが、ネコ娘は漠然とした複雑な思いを抱いて
いた。
 本来であれば、自分は部外者で関わるべきではない。許されたのかすら分からない。けれど、何もしないまま過ごすよりずっと
いい・・・。
傍らで座る彼の遠い視線は、決して答えを教えてはくれない。ネコ娘は目の前のものからそばめぬようにしようとひたすら前を見つ
めていた。



 どこか懐かしさすら感じる古代の宮殿には、独特の空間であった。まざまざと見せ付けられた理不尽さは、現代では考えられない
ことである。
 謁見室を出て扉の前で少年が深いため息をついていた背後から
『どうしてここへきた?お前の居る場所ではないだろう、サマヤ』
 サマヤと呼ばれた少年は、黒い瞳を大きく瞬かせて振り返った。そう、鬼太郎のかつての名前であった。
『デーヴァ様・・・』
 声を掛けてきたのは、王子の友人のデーヴァという青年である。頻繁に訪れては王子と密談を交わしているというのが専らの噂
であった。
 それを知っていたサマヤにとっては大きな不安要素だった。デーヴァと交友を始めてからの王子は明らかに様子が変わっている
のを感じていたからだ。そして、父王の幽閉に関与しているやもしれない、と直感していた。
『何だ、その目は。私の顔に何か付いているとでも?』
 デーヴァにとってはサマヤの純粋な瞳で見つめられるのは酷く苦痛であった。言いながらぷいと顔をを逸らすが、それでも射抜く
ように少年の視線が突き刺さる。
『アジャータ様に何を吹き込んでおいでですか?』
『は?何を言う?』
『どうして・・・王様は幽閉されなければならないのです?この国を懸命に治めておいでの尊きお方ではありませんか』
『人を疑うのか、お前は?』
 臆する事無くきっぱりと訊くサマヤの中に純真さ故の危うさを見抜いたデーヴァは、振り向きながらかすかに嘲笑を浮かべた。
『いえ・・・ただ王子様のご様子が前と違うような気がして・・・』
『今やアジャータ様はこのラージャグリハを統べる王なのだぞ。お立場というものがあるのだ、それを良く分かっているのはお前だろう?
サマヤ』
 確かに――昔の思い出を捨ててきたが、かつての身分を思い出すと口をつぐむしかなかった。
『・・・お前は何も知らぬようだな』
 こちらを見るデーヴァは心得顔を浮かべ、にやりと笑った。
 どういうことなのか?と問おうと口を開きかけた時、王子の側近が謁見許可を告げに近づいてきた。デーヴァはそっと耳打ちされ、頷くと
『ともかく、お前には関係ないことだ。余計な詮索するな』
 それだけを言い残し、悠々と脇にある別の部屋の方角へ歩いていった。




日も暮れ、夜の闇がすべてを包む。
 宮殿より外れに建つ使用人の部屋で、他の者と会話を交わしながら簡素な寝具に入ろうとしていたサマヤは、ふと外からやってきた
知り合いの門番が手招きをしているのを見つけた。
 いつも信頼している者にだけ託す母からの呼び出しだと察したサマヤは、無言で頷くとそっと外出していく。
 決して毎晩ではないが、この所呼び出される回数が増えた・・・やはり心痛が大きいのだろうか、と憂いながら母の待つ池のほとりへと
歩いていく。
 そこは夜ともなれば人の立ち入りがなく、安息の場所であった。

『おお、来てくれたのですね』
 王妃は少年の顔を見るや頬を緩ませた。
『王妃様・・・』
『今は母と呼んで欲しいのです。昼間は見苦しい姿を見せてしまいましたね』
 このような形で会う事にためらいはある。が、わが子を護り切れない今はこうして密会という方法しかないことは
二人だけの暗黙の了解であった。
『・・・私の力では王様へ何もして差し上げられぬのです。あの子が・・・あんな心変わりをするとは』
『本当のアジャータ様は聡明な方です。それは母上がよくご存知ではないですか?』
 サマヤの慰めに、王妃は弱々しく首を振った。
『どうしてそこまで母上が追い詰められねばならぬのですか?何か訳でもあるのですか?』
 彼の懸命さに心が揺り動かされたのだろうか、王妃は訥々(とつとつ)と話し出した。
『あの子の言っていた事は本当なのです・・・その昔、王様は跡継ぎに恵まれなかった頃、お告げを聞いたそうです。山中で修業する
仙人の生まれ変わりとして王子が授かると。まだ私がお前を生んでまもなくのことだったそうで・・・けれど、王様は仙人が生まれ変わ
るのは数年後と知って待ちきれずに殺しておしまいになったと聞きました。私の祖国がこのラージャグリハに攻め滅ぼされたのは、お前
が物心つかぬころだった・・・』
 心の底から吐き出すような声音に圧倒させながら、サマヤはじっと耳を傾けた。
『敵国の王子だったお前を、本来であれば引き裂かれどうなっていたのかわかりません。ですが、私の子供だということを伏せて乳母に
託して・・・そして、私はアジャータを産んだのです』
『・・・そうだったんですか』
 サマヤは周りの者から聞かされていた、母の身の上を――。そして、今日はじめて聞く過去の事情を聞き漏らさぬように、と神経を張り
詰めさせていた。
『もしや殺してしまった仙人の生まれ変わりというのであれば、呪われた子だと王は仰いました』
『呪われた・・・?』
『仙人の怨みです。その念を背負って生まれてきたやもしれぬと。どんな危害を加えるか分からぬからと、アジャータを遠ざけようとなさ
いました』
『それは・・・ひどい』
 思わずサマヤはあの険のある王子の表情を思い出した。寂しさの混じった瞳だったかも知れない、と今では思う。自分に対していつも
虚勢を張るのも、きっと過去に受けた心の傷があったに違いないと。
 しかし、今のままでは何も解決しないのだ。ともかくこの状況を打ち破ることは出来ないのか――。
『アジャータ様のお心を解きほぐすには、まず王様と話し合わねばいけないと思うのです。母上、王様をお救いしましょう。それには母上
でしか出来ないことがあるのです』
『なんですか、それは・・・?』
 サマヤが賢明な子であることはわかっている。王妃は力強く見つめる目を信じてみよう、と頷いた。