第6話
過去から現在まで――。紡がれる時間(とき)の絡み合う糸を解くが如く、目の前にさらさる機会が
こうして訪れたのだ。
鬼太郎はゆっくりと歩を進める宋帝王の背を見上げながら、遥か遠くの記憶を辿ろうと試みる。が、
それは無駄なことだ、と即座に打ち消した。
そんなことをして何になるのだろうか。
父に隠してまで言及しなかったのを、改めてこれで良かったのだろうかと自問したが、やはり確信にまで
至らなかった。
そんな逡巡をしている刹那(せつな)、一歩後ろを歩くネコ娘の声が掛かった。
「どうした?」
歩きながら振り向くと、先程とは違う真摯な表情で
「私…とっても大事な所に来ちゃったんだね。でも…」
ネコ娘のまっすぐな瞳が、自分を思いやる優しい色を帯びているのがはっきりと分かる。
「私じゃなくちゃダメなんだよね?親父さんを置いてきてまでここへ来たんだよね?鬼太郎…」
自負からくる感情ではなく、真摯な気持ちから言う彼女の言葉がありがたかった。だがそうして自分を
思ってくれていることが、今は少し心が痛む。
「・・・ごめん、ネコ娘」
「どうして謝るの?」
「君だけ来させてしまったから・・・」
「もう!鬼太郎らしくないよ?大丈夫、もし何かあっても私は何とかするから。ね?」
本当はそれだけではない、と今はまだ言えなかった。
歩調を速め、ついて行こうと側に寄るネコ娘の横顔を見ながら
「・・・ネコ娘。これから僕は過去の自分と対峙しなくちゃいけない。それに巻き込もうとしてる・・・我がままな僕
のこと・・・許してくれるかな?」
普段だったら、決して言うことはないであろう気持ちも、今はすんなりと言える。
その言葉にネコ娘ははっと目を見開くと、こちらに視線を向けた。
「そんな!私の方こそ、ついてきちゃったんだもん。鬼太郎がそれでいいって言ってくれれば、私一緒にいるわ」
そう、鬼太郎だけ一人で抱え込むようなことはさせたくない。彼のそんなところもよく分かっている。ネコ娘は
迷いを断ち切るようにきっぱりと言い切った。
「ともかく・・・鬼太郎に関してはこれから審(つまび)らかになるのだ。焦ることはない」
二人の会話をそれとなく聞いていた五官王が、落ち着かせるような静かな声で言いそえる。
「はい、五官王様」
この方がそばにいてくれれば大丈夫・・・そうネコ娘は強く思うのだった。
* * *
やがて鉛色をした大きな観音開きの扉の前まで来ると、宋帝王は二人へと振り返り
「ここは私の執務室なのです。あなた方が来るのを知った閻魔大王様より、ここを使えとおっしゃたのです」
「そうでしたか・・・」
鬼太郎は閻魔大王の配慮に感心しながら答えた。王はふっと皆に目配せすると、おもむろに扉を開けた。
蝶番(ちょうつがい)の軋(きし)む音が響き、ゆっくりと新しい景色が広がっていく。何もかもが身丈以上に大きい
家具に囲まれた部屋へと足を踏み入れた。
はじめてみる別の地獄の一面を見て、鬼太郎とネコ娘は驚いたように目をまじろがせている。宋帝王はそんな
年少者の姿に微笑ましさを
おぼえつつも、役目を果たすべく彼らを奥に案内する。
几帳面に並べられた調度品の中に、一際大きな鏡のような家具がどっしりと存在感を漂わせていた。王はそれを
指差すと、
「この浄玻璃(じょうはり)の鏡は、過去を自在に遡(さかのぼ)ることが出来るのです。今から見せることになりますが・・・
鬼太郎、いいですね?」
宋帝王は念を押すように問うた。鬼太郎はまっすぐ王を見上げると、無言で頷く。
「これが、あの有名な亡者の裁きに使われている鏡・・・」
やはり独特の雰囲気を持つ鏡を前に、ついネコ娘は呟きながら息を吐いた。
「どうしても観るのが辛くなったら、私のところへ来てください。・・・私達はこれでさがります。二人で大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます、宋帝王様・・・五官王様」
鬼太郎は宋帝王と五官王の心遣いに感謝しながら、深く頭を下げた。慌ててネコ娘もぺこりとお辞儀をして見送った
のだった。
二人きりになるのは慣れているはずだけれど・・・ネコ娘は今までになく緊張した表情を浮かべる鬼太郎に、どう接
すればいいのかほんの少し戸惑っていた。
「ネコ娘、こっちに来て座りなよ」
いつもと変わりない風を装って、鬼太郎は声を掛ける。
「う、うん」
座り心地のよい繻子の長椅子に、ネコ娘は遠慮がちに等間隔で腰を下ろす。
やがて浄玻璃の鏡の中に光が差し込み、ぼんやりとした輪郭を柔らかく描いていく。しばらくすると、見慣れない景色
が映し出された。
そこは日本の風景ではない、どこかの異国の城下町であった。
鬼太郎は身じろぎ一つせず凝視している。ネコ娘はちらりと一瞬だけその横顔を確認すると、目の前の映像に気持ち
を集中させた。
現代よりも遥か古代の――ノスタルジックなどこかアジアの国のようだと二人は思いながら見つめていた。
古城は、次第に内部に入り込むように映し出されていった。そこは煌びやかな王宮といった風情である。
部屋の中央には、一人の女性が泣き崩れ、側で慰めようとしている少年の姿。ネコ娘はこの瞬間に彼が鬼太郎の
過去世だと分かった。
妖気をまとっていないだけで、雰囲気は昔からちっとも変わっていないのだ、と内心嬉しかったのだ。同じ魂なのだから
当然だと言えばそうなのだが、それでも良かったと思っていた。
『どうして・・・あの子はひどいことを・・・』
女性は両手で顔を覆いながら嗚咽(おえつ)がとまらない。
辛そうにそれを見ている少年はただ見守るだけだ。
『王様の所為でも・・・母上の所為でもありません。あの・・・あの者が王子様をたぶらかしているのです』
『・・・皆の前でわたくしの事を母だと言ってはいけません。わかりますね?』
母と呼ばれた女性は気丈にも頭を上げ、少年に言い聞かす。
『はい・・・分かっています。ですが、今のままではこの国はおかしなことになってしまいます。幽閉された王様をお助け
しなければ・・・』
少年の声が高かったのだろうか、背後から不敵な笑い声が迫ってくる。声の主は彼と同じくらいの年かさの男であった。
ごく近くまでくると、憤然と
『おかしいだと?私を何度も殺そうとした父上の事をまだ王だというのか!このラージャグリハの王は私だ!』
少年は気圧されるようにびくりと肩を揺らしたが、それでも懸命に受けて立った。
『ですが、周りのものは違うと言っております!王様がアジャータ様を殺そうとするなど、嘘に決まってます』
『お前・・・!』
アジャータと呼ばれた王子は、少年の肩を思い切り小突いた。ふらりと体が揺れ、逆らえずにしゃがみ込んでしまう。
堪らず王妃が立ち上がってかばう様に駆け寄った。
『お前が私に意見する身分か?それから私が今この国の王なのだ。気安く名前で呼ぶな、痴(し)れ者が!!』
『お願いです、アジャータ。この子だって、大事な息子。お父上とは血筋は違えど、兄弟なのですよ』
懇願する王妃へ、王子は二人に一瞥(いちべつ)をくれると吐き捨てるように
『敵方の、滅びた国の王の子供のどこが同じなんですか、母上。本来だったらこの者は奴隷にでも使ってやれば
いいんですよ。それを母上まで・・・』
なんということをいうのか、と王妃から大粒の涙が零れ落ちる。
『・・・いいのです、王子様のおっしゃる通りです。・・・出すぎたことをお許し下さい』
居住まいを正すと感情を抑えるように、とつとつと謝罪を述べる。
この子が鬼太郎の過去世なの?とネコ娘は信じられない思いで見続けていた。が、そうでなくとも聡明な黒い、謙
虚な態度――閻魔大王の話に出てきた転生前の子供と一致すると感じていた。
隣に座る鬼太郎はどう感じているのか、それを察することは難しい。
最後まで、きちんと見届けるのが今の自分の出来ること・・・と強く思うのだった。