第5話
『かつて』は、ということはどういうことなのか――。あまりの衝撃的な閻魔大王の言葉にネコ娘は瞠目しているばかりだ。
鬼太郎は少々驚いていたが、それでもどこか得心したような表情を見せていた。
大王は昔話を語るかのように、目を細め時々遠くを見やりながら話し始めた。
「・・・あれはそうだな。わしが賽(さい)の河原で童子の様子を見に参った時だ。周りの皆は泣きはらした瞳でこちらへ救いを
求めて走り寄ってくるのだが、そうではない幼子が居た。何やら奪衣婆(だつえば・注1)の側でいたずらをしているようだったか
ら、気になって様子を見ることにしたのだ。よく聞けば、衣領樹(えりょうず・注2)という樹にかけられた死者の衣を奪っているよ
うで、その死者に返してしまうものだから、奪衣婆はその子を懸命に追い払おうとしていたらしい。可哀想だから返した・・・という
声が響いてきてな・・・わしは何故そのようなことをするのか、訊ねてみたくなった。近くへ行き、その幼子の姿を見て驚いたものだ。
今までこの賽の河原でとても利発そうで澄んだ眼をした子供は見たことがなかった・・・」
まるで昨日のことのように、新鮮に思い起こしながら昔々の語りべの如く言葉を繋いでいく。
「そして訊いたのだ。何故お前は善行の為の石積みもせずに、奪衣婆のそばにいるのだ?と。すると、自分は生まれてすぐにここ
に来たけれど、ここへ来る人はずっと長生きしてきた人だから自分より偉い、なのに罪になるのはおかしいからだと言い張った。
名前を問うたが、ただ首を横に振るだけだった。どうやら赤子のままにこの河原へときてしまったのだろう、穢(けが)れのない
まっさらな魂だったと、今でも思っている」
つと、二人の年少者に視線を向ける。やはり驚きは隠せないのか、呆然とこちらを見つめている瞳に対して柔和眼差しを送った。
「・・・・それでは、閻魔大王様は昔の僕の事を知っていたんですね」
「そうだ、もう随分と昔の話であるがな・・・」
「でも、待って!閻魔様って大王庁にいらっしゃるってきいてたのに、賽の河原にも行かれるんですね、知らなかった」
「はは、お主等は閻魔様のお役目を知らぬのか」
はじめてきいた・・・と独り言のように呟くネコ娘の声を聞いた五官王が思わず口を挟んだ。側近として常に隣でひかえている王は、
三人の様子を伺い、じっと耳を傾けていたのだ。
「閻魔大王様は天界においては、地蔵菩薩様として子供を護り、人間界を護ると誓願を立てられた尊きお方なのだ。分かるか?」
「ええ〜!じゃ、じゃあ私達妖怪のことも?」
「そうだ。人間も、妖怪も区別なく、な」
目の前の大きな存在。それに見合う以上の深い厚意を抱いているこを知って、ネコ娘はあの事を思い出していた。
ねずみ男と黒鴉の三人でこの大王庁から呼び出され『鬼太郎の為に働け』と言い渡された事を――。
今、こうして話を聞くのもそれと同じなのか、それとも偶然なのかどちらにしても鬼太郎の力になりたい!と思う気持ちには変わり
はない。
「何だか・・・大きな話で、ついていくのがやっとみたい」
つい、小さく息をつく。今までになく、気が昂っているようで落ち着かない。
「ああ、僕もはじめてきくばかりで驚いてる」
鬼太郎も、彼女の言葉に同調した。けれど、ほんの少し心のどこかでほっとしていた。
「それにしても・・・地獄の異変やカギを持ってる鬼太郎のことと、どんな繋がりがあるのかしら?」
まだ疑問の答えは返って来た訳ではない、ネコ娘はそう思うとまだまだ腑に落ちない心地である。
「ネコ娘、鬼太郎。聞くがよい。まだこれで話は済んでおらぬ」
鬼太郎の過去の叙説(じょせつ)を大王はすべて語ってはいないのだ。
その声に、二人はそちらへ向き直った。
「わしはその童子を見込んで、天界に連れて行くことにした。そして、修業を積ませよう、と考えてな・・・さすれば、天界人として
過ごすことが一番良きことだと信じて疑わなかったのだ」
と、話し続けながら大王はやや憂いを帯びたような面持ちである。
「・・・その後天界で成長したのは良かったが、本当に利発な子であった所為か『もう一度人間として生まれてみたい、人間として
の修業をしないままではいたくはない』と懇願してきた。はじめは反対した・・・人間として生きることを知らない純粋さに危うさを
感じたからなのだ。最後には根負けして許してしまった」
今までになく、深く深く長いため息をつく。悲しさも含んだような寂しげな笑みをたたえて
「あの時ほど、後悔したことはない。やはり許すのではなかった・・・」
鬼太郎の過去世だと言うことを忘れてしまいそうなほど、遠い遠いおとぎ話をきいているようだ、とネコ娘は心から思った。
穢れなき、まっさらな魂・・・というのは、きっとそうだったのだろうと思う。西洋妖怪のゴーゴンとの戦いで、鬼太郎には全く邪気
がないことを知ったし、子泣き爺が言い放った言葉を思い出す。
『善にも悪にも決して偏らない、透明な心の持ち主』だと。
傍らにいる鬼太郎に視線を送ると、柔らかな琥珀色の髪を揺らしてこちらを向いてくる。
無言で軽く首を振ると、大王の気持ちを慮るような表情で答えてくれた。
「お話中、申し訳ありません」
静寂を縫うように、謁見室の入り口より宋帝王があらわれた。
「閻魔大王様、裁きの時間です」
「おお、もうそんな時間であったか・・・すまぬな鬼太郎。行かねばならぬ」
本来の仕事である死者の裁きの定刻時間だと告げられた大王は、おもむろに立ち上がった。
「後は宋帝王に聞くがよい。なぜ、今回の異変と繋がりがあるか・・・わかるはずだ」
「はい」
忙しい合間に謁見を許してくれた閻魔大王へ、二人は頭を下げた。ややあって、側近の五官王・宋帝王が側へついた。
「鬼太郎・・・私、ここにきて良かったのかな」
ぽつりと、不安にかられてささめく。
「どうした?」
「だって・・・私、鬼太郎の為に何か出来るのかなって。私じゃ足手まといでしょ」
「ネコ娘」
鬼太郎は制するように、きっぱりと彼女を呼ぶ。
「何?」
「僕はネコ娘に来て欲しかった、だからこうして一緒にいるんだ。それじゃ、駄目かい?」
単純に聞こえるかもしれない、しかしこの瞬間だけは本当に思っていたことを素直に言うだけでいいと思う。
「・・・うん。ありがとう、鬼太郎」
自分を信じて選んでくれたのだ、と感じてネコ娘は俄かにくすぐったいよな嬉しい気持ちだった。
「二人とも、こちらへ来て下さい。見せたいものがあるのです」
宋帝王は彼らの会話の途切れるのを待つと、声をかける。二人は歩き出した五官王の隣をついて行く。
ふと、宋帝王は足を止め、こちらを見下ろし
「鬼太郎。これから見るもの、聞くものすべてを受け止める覚悟はありますか」
訊かれるかもしれない、と鬼太郎は予想していた。
「はい。その為にここへ来ましたから」
間髪入れずにはっきりと答える。
宋帝王は、少年の意志の強さに頼もしさをおぼえて頷き返した。
鬼太郎はぐっと拳を握り締め、今は待っているであろう目玉の父の姿を思い出しながら、心の中で祈念するのだった。
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注1・・・奪衣婆(だつえば)とは、三途の川を渡ってきた死者の着ている衣を脱がして、罪の重さを量る老婆のことです。
注2・・・衣領樹(えりょうず)とは、 奪衣婆が脱がせた衣(罪の重さ)を量るための樹のことです。