第4話



 どれだけの時間が過ぎたのか――目玉の父は大きくため息を吐くと、化けガラスを呼んだ。
 しばらくして、けたたましい鳴き声と羽音を立てて出窓に降り立つカラスに
「すまんが、横丁まで乗せて行ってはくれんか?」
 カラスは一声答えるように鳴くと、阿吽の呼吸で父を乗せるために片翼を下げた。
「今はじっとしておれんのじゃ」
 慣れた動作でよじ登ると、独り言をポツリと呟く。そして漆黒の鳥は空を舞い始めるのだった。



          *           *          *



 先にネコ娘が鬼太郎の様子を横丁の皆に伝えに行ってくれている。まさか自分が一人残されている
ことまでは知らないのではないか。
 不穏な空気はまだ外れにある森だけで済んでいて欲しい。いくつもの思いが交錯していたが、ただそ
の場で手をこまねいている訳にはいかないのだ。目玉の父は空中より町の様子を見つめながら思った。
 行きつけの砂かけ婆の妖怪長屋前で降り立つと、賑やかな日常の生活音が響いてきていた。


「アマビエ・・・お前さん、ところてんが食べたかったんじゃないのかい?」
 斜向かいのまんじゅう屋から、小豆洗いの声が聞こえてくる。
「はあ?アタイは甘いところてんが食べたいって言った!」
 甲高い少女の様な声がそれに答えた。人魚のような姿をした妖怪、アマビエである。和菓子なら何
でも扱う店に、当然甘味は欠かせない。しかし、思ったとおりじゃないから、と眉を寄せて抗議中なのだ。
 ここの店には夏限定のところてんがあるのだけれど、三杯酢を効かせたさっぱりとした味付けが
人気だった。
 アマビエにとっては『ところてんは黒蜜で甘いもの』という期待があったのだから、無理もないのだ。
「おいおい・・・そんなのどっちだっていいじゃん」
 二人の間にはさまれて、かって出たわけでもないが仲裁役になってしまったのは水辺の妖怪のかわうそだ。
時々彼女の我がままに振り回されるのは今日に始まったことではないのだ。
「そういうかわうそはどうなのさ?」
 急にこちらに振られてかわうそは辟易しながら
「ええ!おいら甘いの食ってないもん」
 それしか答えようがないから、とそう言ったが、アマビエは大げさに肩をすくめて
「はあ〜頼りになんないねえ、かわうそは」
「アマビエが無茶言うからだろ〜」
「なんだい!!」
 きっ!と青筋を立てると、パシパシと得意の往復ビンタをくわせてしまう。
「あいたた!!おいらに八つ当たりするなよ〜」
「これこれ、ケンカはやめるんじゃ」
 騒動を聞きつけて、目玉の父と小豆洗いが割って入った。子供同士の小競り合いのようだと分かっていた
のだが、さすがに止めねばなるまい。
「おや、親父さん。鬼太郎はどうしたんだい?」
 やっと手を止めて、アマビエは瞳を瞬かせて訊いてくる。
「寝込んでたってきいたけど、元気になったんだろ?」
 かわうそは赤く染まってしまった頬をさすりながら、ネコ娘からきいた話を思い出しながら言う。
「ふ〜ん」
 アマビエは軽く頷くと、不意に雷に打たれたように空を舞った。
「ひらめいた!ひらめいたよ、親父さん」
「な、なんじゃ」
「これから鬼太郎に良くないことが起きるよ、気をつけたほうがいいよ!」
 大きな声で言うものだから、側にいた妖怪達はぎょっとして一斉にこちらを見た。
「まーた、ろくなこと言わないじゃないか。本気にするなよ、親父さん」
 隣にたまたま野次馬に来ていた傘化けが慰める。だが、彼女の予言は外れることは滅多にない。
重なるこれまでの出来事に沿っているように感じられて、否定する気持ちにはなれなかった。
「騒々しいぞ、アマビエ。もういいから遊んでおいで」
 長屋から奥に居た砂かけ婆がやってくる。外の長椅子に腰掛けていた子泣き爺までも輪に加わった。
「・・・親父さん、こっちで落ち着いて話でもどうじゃ?」
 そう気を利かせて、砂かけ婆は石畳の方へと手を差し出す。目玉の父は遠慮なく乗ると、三人は長屋の
部屋へと向かったのだった。


 人払いもし、静寂を保った部屋に目玉の父・砂かけ婆・子泣き爺の三人は車座になって座った。
「ワシは鬼太郎を信じておるんじゃ」
 父は、鬼太郎の様子を逐一語ると最後にそう言い切った。けれども砂かけ婆は小さく息を吐くと、思案顔で
ある。
「しかしじゃな・・・あれだけ寝込んでしまったというのに、親として心配じゃないのかい?」
 つい昨日までの状態を考えればそう言われても仕方が無いのだ。しかし父の思いをくんだ子泣き爺は
「大丈夫じゃろう。親父さんが言ってるんじゃ、のう?」
 と飄々とした口調で言い添えた。しかし、目玉の父は小さく頭を振って
「・・・こればっかりはワシにはどうしようも出来んのじゃ。そんな気がしてのう」
「鬼太郎自身の問題・・・ということじゃな」
 その言葉に、目玉の父ははっと頭を上げた。子泣き爺からみごとに言い当てられた、と思ったからだ。
 思い返せば、鬼太郎の言動の一つ一つに含みを感じるのだ。口に出すのも憚られるような経験か何か
あったのではなかろうか、と。

 『僕のことを信じていて欲しい』息子が告げた言葉の裏に、真意を気取られまいとするのを察していたが、
それでもやはり片時も離れる気持ちにはなれなかった。
 一緒についていこう、と思い鬼太郎の頭上によじ登ろうとしたのだが
「父さんはここにいてください・・・父さんの苦しむ姿をみたくないんです」
 と小さな掌が自分の体を包み込んできた。柔らかく暖かい手が心中を饒舌(じょうぜつ)に語っていようで
あった。


 今まで常に行動を共にしてきた分、きっと自分なりに葛藤しているのだろう、と思う。それでも砂かけ婆の
言い分にも一理あるだろうとも思えて迷いが生じているのも事実だ。
「まあ、とにかく親父さん。何かあればいつでも力を貸すぞ。ここでは皆が家族なんじゃ」
「すまんのう、宜しく頼む」
 父はそのまま深々と頭を下げたのだった。
 


          *          *          *



 まがまがしい雰囲気、薄暗い空間・・・。地の底の淀むような空気に包まれた地獄の中心、すなわち閻魔王庁
へと鬼太郎とネコ娘は訪れていた。
 通常、満中陰(注1)を迎えた死者の裁きをする場所であるが、このところの波乱で警戒が一層強化されている
らしく、馬頭の警護兵が増えたようである。
 ネコ娘にとっては、ねずみ男と黒鴉と共に呼び出しを受けて以来だ。昨日までの鬼太郎のこと、そしてまだ彼の
身に何があったのかを知りたかった。
 閻魔大王の謁見室へと案内をしてくれたのは、五官王であった。
「待っていたぞ。閻魔大王様はすでにおいでだ」
 鬼太郎は無言で頷くと、傍らに居たネコ娘にそっと笑いかけた。
 その笑顔は安心させようと気遣う優しさからだ、と彼女は感じて微笑み返したのだった。


 大きな玉座には、待ちかねたように閻魔大王が座していた。それに比べ、二人は本当に小さいものだ。
鬼太郎はうやうやしく礼をすると、続けてネコ娘も深く頭を下げた。
「ここまで来たということは、分かっておるということか」
「はい、閻魔大王様」
 鬼太郎は臆する事無く答える。
「今、西洋妖怪達がなりを潜めているうちに解決しておかねばならないのだ。それは・・・鬼太郎、お前如何による」
 つい先だっての西洋妖怪の襲撃から守ったばかりの地獄に、再びの不協和音。功労者でもある鬼太郎にも話が
来るのは当然の流れであろう。
「黄泉の国の霊石の異変。それから、僕だけに襲ってきたあの・・・」
「そうだ、関連性がないとは否定できまい」
 やけに断定的だ、とネコ娘は思った。二人のやり取りでは、本当は通じ合っているのではないのか?とさえ思えて
くる。
「ときに、お前達は自分らの世界と地獄との関係は知っておるか?」
 大王の問いに、二人は一度首を傾げ、目を合わせると再びそちらを向いた。
「この地獄の他に人間界・餓鬼(がき)界・畜生界・阿修羅(あしゅら)界・天界が存在し、それを合わせて六道(ろくどう)
と呼ぶ。おのおのの世界は一つの輪のように繋がっているのだ。それらを統括しているのが地獄の閻魔王庁なのだ」
 はじめてきく話に、ネコ娘は目を丸くして聞き入っている。隣にいる鬼太郎は時折目を伏せて考えこんでいるようだ。 
「もしこの世界の一つでも不調が生じれば、六道世界の秩序・均衡が崩れてしまう。それを知らせる役目を担っている
のが『霊石』なのだ」
「だから、異変が起きればすぐにわかるんですね」
 ネコ娘はなるほど、と感心しながらも同時に気になって仕方のない疑問が湧き上がり
「でも、どうしてそれが鬼太郎と関係があるんですか?地獄のカギの所有者だからですか?」
 以前、五官王が言った一言を思い出しながら問いかけた。
 その瞬間、閻魔大王は喉の奥で小さく呻いた。一呼吸置くと、意を決したように語り始める。


「鬼太郎・・・かつてお前は人間だったのだ」