第3話
翌朝。ネコ娘がいつものようにゲゲゲハウスに様子を伺いに訪れた時、鬼太郎は床払いを済ませていた
ところだった。
「やあ、ネコ娘。おはよう」
「おはよ、鬼太郎」
あっさりと挨拶を交わす鬼太郎に、ネコ娘は少々拍子抜けしてしまいそうだった。昨晩の彼の憔悴ふりが
気になって急いできたのにと思うのと同時に、心配でもあった。
「もう起きてていいの?」
「まだ寝ておけと言ってもきかんのじゃ」
問うた相手より先に、御座の上で胡坐をかく目玉の父が答えた。
「まだ本調子じゃないでしょ?大丈夫なのかしら」
囲炉裏の前に正座すると、それに合わせて斜向かいで鬼太郎が座った。未だ顔色が優れないようで
あったが、普段と変わらない表情にほっと安堵した。
「そうじゃ、今日は一日休みなさい」
「平気です、父さん」
鬼太郎は安心させるように言う。しかし、ネコ娘はつい
「平気じゃないでしょ!顔色悪いよ?見てるとふらついてるじゃない」
本人よりも周りの者が憂えているのだ。鬼太郎は二人を宥めるように微笑んでいたが、やがて真顔で
そっと頭を下げ
「父さん、昨日は取り乱したりしてすみませんでした・・・ネコ娘みっともない所をみせてしまったね」
「いいんじゃ、何が訳があるんじゃろう」
昨日の今日ともなれば、色々と訊ねてしまうのも・・・目玉の父は親心として自分の気持ちを抑えることに
した。
「ううん・・・でも辛そうだったから、私で良かったら何か出来ないかなって思って」
「ありがとう」
平素から何くれとなく自分の力になってくれる少女に、鬼太郎は素直に感謝していた。そしてやはり話さな
くては、と思った。意を決したように二人に目配せをすると、目玉の父はしっかりと頷いた。
「あれから目が覚めてから、全然眠れなかった・・・いや、眠りたくなかったんです。目を閉じるとあの暗闇に引
きずられるのが嫌で・・・」
やっぱり苦しかったんだろう、とネコ娘は慮って眼を伏せた。
「その前から本当はおかしいと感じていました。何日か前から良く分からない世界の夢を見たんです。その時
に聴いた声・・・どこの国の言葉かわからない、でも呪術のような・・・その後、カラスの森に行った時、地獄岩
の前で同じ声が頭の中へ直接響いてきて・・・それから先の記憶がないんです」
「鬼太郎、すごくうなされてたんだよ?親父さんもみんな心配だったの」
「そうか・・・」
「何の手の打ちようもなくてな・・・すまんのう、ワシは見守ることしか出来んかった」
二人の心遣いがとても嬉しくて、鬼太郎はしばらく言葉を詰まらせた。ややあってから
「現実じゃないのだから、夢なんですね。得体の知れない何かが襲ってくるのを必死に対抗しようとしていた。
僕は・・・誰かを守りたい一心で戦おうをしてるのに、思ったように体が動かない、いつものように髪の毛針や
チャンチャンコも使おうとするのに、それも出来ない。まるで・・・」
そこまで言うと、ぐっと口をつぐんだ。これ以上の言ってしまうのはどうしてもためらわれる。
「・・・疲れ果てて、もう助からないかもしれない・・・って思った時、目が覚めました」
「そうだったの・・・」
「自分の無力さが悔しかった、どうしても。自分が許せなかった・・・」
昨晩の思いが胸の奥から溢れてくる。膝の上においていた拳をさらに握り、潤んでくる瞳を覚られまいと
俯いた。
「お前は良くやってくれておる。それはみんなわかっているんじゃ・・・鬼太郎、お前はワシの自慢の息子じゃ」
今、掛けて欲しい父の慈愛に満ちた言葉に、鬼太郎はやっと力を抜いて顔を上げた。
「・・・父さん」
目を合わせると、父までも顔一杯に零れそうな涙を浮かべている。それ程心労をかけたのかと思うと、心
が痛かった。
ネコ娘は、睦まじい親子の様子を微笑ましく見つめていたが、数日前の異変について言及しなければ、と
思った。目玉の父や仲間には話してあったが、当の本人にはまだ知らせてはいなかったのだ。病み上がりの
状態の彼に言うのは酷だろうが、きっと知りたいと思うに違いない。
その事を目玉の父に託すと、ネコ娘はすっくと立ち上がり、
「私、横丁のみんなに鬼太郎のこと知らせてくるね!」
と笑顔で部屋を出て行った。
* * *
「聞いたよ、父さんから」
鬼太郎は、雑木林の出口で横丁から戻ってきたネコ娘を待ち受けると、真摯な声音で言う。その一言だ
けでネコ娘は彼の決意を読み取った。しばらく寝込んでいたというのを忘れてしまいそうだ。いつもの鬼太郎に
戻ったのだと、やっと安心出来たのだった。
「黄泉の国のこと、まだあれから五官王さまから連絡とかないの。けど、鬼太郎だったら分かるんじゃないかって考えて
いらっしゃるみたい」
「そうだな・・・この所、ゲゲゲの森の空気も淀んでる様な気がしていたんだ。ネコ娘、一緒に来るかい?」
そう誘われても・・・この間の様になってしまったら・・・とネコ娘は、一瞬思いが巡って即答しかねた。
「・・・今度は幻聴に惑わされたりしない。約束する」
きっぱりと言い切る強い言葉に、信じようと思う。いつだって信じた通りでいてくれる。
「うん。行こう、鬼太郎」
ネコ娘は深く頷くと、彼の隣からはぐれないように駆け出す背中を追った。
* * *
一人ゲゲゲハウスに残っていた目玉の父は、あがりまちでひょこひょこと遊んでいた古今東西妖怪大図鑑〜ココンを
呼び寄せた。
息子が原因不明の幻聴や夢はもしや妖怪の仕業では?と思いつくのは自然の流れだった。
最新の頁まで隅々まで読み進め・・・
「ま、まさか・・・」
目に飛び込んできた情報に、はっと瞠目する。そしてつい先ほど交わした会話を思い起こす。
ネコ娘が横丁へ向かってから、鬼太郎は自分へと今までになく真剣な面持ちでじっと目を合わせてきた。
それがどういうことなのか、一瞬の本能的に寂寥感が通り過ぎるのを感じながら言葉を待った。
「父さん・・・僕を信じてくれますか?」
「もちろんじゃ」
「・・・僕にどんなことがあっても、ですか?」
目の前の息子は、本当は思っているより子供ではないのかもしれない。父はただ頷くだけだ。
「もしかしたら・・・これから僕が僕じゃいられなくなるかもしれない。その時正気を保っていられるか、自信が
ありません。でも、父さんが僕を信じていてくれるなら堪えられます」
「鬼太郎・・・ワシはずっとお前の父親でいられることが誇りなんじゃ。分かるな?」
「はい。ありがとうございます、父さん」
やっと表情を緩める鬼太郎の大人びた様子に、何もかも任せてみようと思ったのだった。
深く息を吐いて、立ち上がると窓辺に向かう。首が痛くなる位ぐいと頭をあげ、今は出来るのは祈ることだけ。
ガランとしたハウスの中で、目玉の父は微動だにしないままただ一心に思いを巡らすのだった。