最終話(第14話)





  今、見上げる空の蒼さを、ネコ娘はこれまでになく哀しいと思ったことはなかった。
まっさらに風になびく一反もめんの姿と、その背に乗る鬼太郎の悲壮さも、あの時観た遠い遠い昔に生きていた真正直な少年も、本当ならばこんな理不尽な因縁を結ぶことなどなかったはずなのに。
 けれど、彼は闘う。時代が変わっても、真摯に立ち向かおうとする性格はきっと揺らがない。
 この光景をネコ娘はどうしても拭えない深い既視(きし)感を覚えながら、大きな瞳でじっと見つめ続けていた。
「もう、俺たちの手には負えないな・・・」
 ふと蒼坊主が本心とは裏腹な言葉を呟く。既に手を尽くしきったのだ。が、もどかしい仲間達の思いは寸分違わぬであろう。
「鬼太郎・・・」
 思わず呟きながら見つめるネコ娘の瞳は、懸命に闘う少年の思いを汲むように、真摯な祈りを帯びているのだった。



 鬼太郎は皆へ被害を被ることなく遂行出来るようにと、ひたすら横丁から遠ざかることにした。一反もめんは彼の思うままに飛行していく。
 羅刹部を一掃した跡は、まだアーケードの内にも外にも残っているようだったが、あからさまな修羅の邪は消えているように感じた。が、進み行く前方には、宿敵の気がぴんと張り詰めているのを本能で感じ取った。
 鬼太郎はじっと目をこらし、再び訪れた羅刹へと視点を定めた。
「・・・・横丁から出て行かないんだな。本当に・・・僕だけを狙ってるんだ」
 こちらを見る敵の姿に、後戻りの出来ないのを覚った。しかし、今の時点で人間界を狙うことはないことにほっとしていた。
 阿修羅の業火を避ける為に、ちゃんちゃんこを盾にしながらぐんぐんと至近距離へと近づいていった。その間にも、寸での攻撃を何度も軽やかに回避していく。
 胸の奥にしまった皆の思いの籠もる護摩符と冥界符に護られている安心感を肌で感じつつ、鬼太郎は羅刹への決定打を撃つ機会を窺っていた。
 右手で握った十三王から託された艶やかな牽羂(けんじゃく)が、今までとは異なる力を得たことを伝えてくれる。地獄の鍵の力にも似て、やはり地獄の特別さを帯びているのだろう。
 鬼太郎は羅刹が太い腕を振り下ろそうとする間合いを見計らい、思い切り牽羂を投擲(とうてき)した。がっしりとその腕に巻き付いたのを確かめると
「体内、電気!!」
 力一杯拳から放つ電撃波は牽羂を伝い、はじめて直接打撃を与えた。羅刹は突如受けた深い痛みに挙措を失う。
『何故・・・!?』
 驚いている表情を見、やっと鬼太郎は緊張で張り詰めていた神経を解いた。
「羅刹・・・分かっただろう、お前の恨んでいる僕はもうあの時の人間じゃない!」
 あんな微力で吹けば飛んでしまうような脆(もろ)さなど、何時のことだというのだ。そう鬼太郎は幽霊族とし ての自尊心を支えに言い切っ
た。
『たかが一度撃ったぐらいで・・・』
 即座に体勢を戻した羅刹は、またも少年を狙いだした。腕に締め付ける牽羂を取り払おうとしていたが、一向に外れることはない。やがて不安定な姿勢になるのを好機と見た鬼太郎は、構わず体内電気を撃った。
 悶える敵をだんだんと追い詰め・・・これで最後、と精一杯電撃を放つ鬼太郎の中に、ほんの一瞬隙がうまれてしまう。
 間髪入れず、羅刹はにやりとほくそ笑んだ。
 はっとして鬼太郎は牽羂を握る手を強めたが、遅かった。そのまま強くどこかへ牽引されるのを感じたと同時に一反もめんの背から離れたのだ。
「あいつ、鬼太郎を異空間に飛ばしやがった!」
 地上で見守っていた蒼坊主が思わず叫んだ刹那、
「駄目よ!そんな事、させない!」
 激しく首を振り、ネコ娘の悲痛な声が蒼天に響く。皆一斉に少女の方に注目した時――羅刹を追随するかの如くネコ娘は姿を消してしまったのだった。



             
         *                  *                  *




 身体が動かない。指先一つも・・・。
 まるで太い鎖にがんじがらめに拘束されているようだ。
 唐突すぎる事態に鬼太郎はやや驚きながらも、心は冷静さを保っていた。だが、この状態から抜け出せる術(すべ)が思いつかない。他の妖怪相手であれば、経験通りに妖気を辿り倒す方法など身体の方が勝手に動いてくれたりするものなのだが・・・。
 目の前に拡がる世界は、時々吹きすさぶ熱風と生命の感じない荒野の闇は地獄のように思えた。吐き気がする程の不快感が占め、なおかつ動きの取れない身が恨めしい。
『やはりはじめからこうするべきだったな』
 いつの間にか近づいて来た羅刹は、ちっぽけな幽霊族の少年を無表情のまま冷え冷えとする視線で睨めつけた。こうして至近距離で立たれると、鬼太郎は負の力をまともに浴びて背筋が凍るような気分だった。
「羅刹・・・」
 喉を絞り声を出そうとするが、ただの呼吸にしかならない。
 双方に横たわる長い沈黙後、口もきけぬ非力な者だと見越して羅刹は問うた。
『ここがどこだと思う?』
 答えるまでもなく異世界だろう、と言うことくらい分かる。と、鬼太郎は息苦しさから逃れようと懸命に腕を動かそうと格闘していた。目の前の少年が抗(あらが)えようともがいても、羅刹は言葉を続けた。
『・・・鐵甲(てっこう)地獄。閻魔も知らぬだろう』 
 初めてきく名の地獄だった。
『生身のまま来た者はお前だけだ。身動きも出来ぬ地獄・・・身体の自由を奪うことなど、この地獄では容易いもの。何故ここを選んだのか、分かるか?』
くっと唇を噛み締め、悔しさを面(おもて)に出す鬼太郎へ、羅刹は口の端を上げ惨酷な愉悦(ゆえつ)の笑みを浮かべた。
『ここは我が力を最大限生かせる場。阿修羅の身になり唯一の利点。はじめこそ恨んだものだが・・・こういう方法もあると分かればしめた
もの』
 この言葉の意味を理解するより先に、鬼太郎の脳裏にぎくりと戦慄が走った。しかし、どうにもならない。 
『・・・・・・お前が転生したと同時に、私は阿修羅界へ堕ちた。お前の魂を壊さねばいつまでもあの世界に堕ちたままなのだ!』
『・・・・・・!!』
 身動きの取れぬ少年へと羅刹はその太い腕を伸ばし、容赦なく華奢な首に掴みかかった。容易く折れそうな鬼太郎の首と、そして身体をじわじわと締め上げていく。心の臓が悲鳴を上げ、声にならない絶叫に吠え た。
 この鐵甲地獄の呪縛を解き放つことが出来なければ――!

『お止めなさい』
 凛とした女性の声が包む世界の周りに響くと同時に、鬼太郎の硬直していた身体が軽く浮き上がる。あれ程気持ちの悪い熱気もすべて消え去っていた。ほっとして見上げると、霊石と同じ薄紅色の光を抱く少女が静かに浮遊しているではないか。
「・・・・・・母上」
 見知ったネコ娘の姿なのに、思わずそんな言葉がついて出る。それは少女の魂の中に宿る王妃と同じ光を放っていたから・・・。彼女自身それを自覚しているか分からないが、こちらを見る瞳はどこまでも柔和で穏やかであった。
『羅刹よ。貴方は一国の王を殺父母(さつふも)の罪を負わせようとし、関係のない者も貶(おとし)め、あまつさえ初江王様を傷つけようとしました。その為に閻魔大王様のご裁断が下ったのです。それを自覚しているのですか』
『何?』
 羅刹の様子が変わった。少女の中に宿る元来の王妃の威厳が帯びる声音に、苛立ちを見せた。 
『貴方の怨嗟(えんさ)の声は地獄王庁にも聞こえていたのです。何もかもお見通しなのですよ』
静かに、淡々と。諭すような口調はまさしく母の如く。
 鬼太郎は不思議な心地でネコ娘の表情を見つめていた。一度彼女の意識下を探ったこともある故か、懐かしさと親しさを感じていた。
 暖かい光は冷たい闇を荒立たせる。対比するまでもなく、羅刹の感情を逆撫でするに十分だった。
『黙れ!!』
 音叉を響かせるような絶叫と共に、目前に佇む少女へと羅刹の左手が伸びる。その瞬間、鬼太郎はネコ娘の立ち、庇(かば)った。
「き、鬼太郎!!」
 陶然としていた意識が、自身へと還ったのか目の前の状態にネコ娘はひどく狼狽した。いつの間にか、背中越しに鬼太郎が立ちはだかっていたのだから。鋭角な羅刹の爪は、少年の腹部を深く傷付けている。
「ネコ娘・・・良かった・・・君を傷つけずに済んで・・・」
 ぐさりと刺さった痛みを堪えながら、涙ぐむネコ娘へと鬼太郎は笑いかけた。
「鬼太郎・・・私の所為なの?ごめんね、ごめんね!」
「違う、よ。僕が君を守る。僕が決めたことだから・・・」
 互いを思いやる言葉を交わす。どうしてこんなことになったのか、ネコ娘は追いつかない気持ちに揺れながらも必死に彼に言った。
 鬼太郎の腹から爪が抜かれようかとした時、羅刹の動きが止まった。と同時に辛い痛みも止んだ。ほっとした二人の前に、王妃の魂の
輝きと薄紅色に光る霊石が完全な姿を現した。ようやくその元の能力と役割を回復させた瞬間でもあった。
 時代を結んでいた霊石は、壊れた時を修復する為に傷ついていた。遠い昔、重い罪を背負う男と因果した少年の不自然な時間の流れを取り戻すのを待っていたのだ。 
 西洋妖怪の襲来という前代未聞の出来事に、六道の繋がる安定を崩すことになってしまった。やっとのことで本来の力をもって羅刹の時間を止めることが出来たのだ。
『鬼太郎、霊石を使うのじゃ』
 天から降ってくる初老の男性の声。以前に一度耳にしたことのある声だった。
 目の前の霊石は――すっかり姿を変えていた。普段表情の付かない頭部は険しい顔つきと化し、先端は鏃(やじり)の如く鋭く尖っていた。それは金剛厥(プルパ・こんごうけつ)と呼ばれる武器。
『今の霊石は魔を打ち払う金剛厥になっておる。羅刹に向かって投げよ』
「あなたは・・・?」
『お前の父に請われたのだ、息子を助けて欲しいと』
 もしや――!?瞬時に思い出してはっとした。
「迦楼羅(かるら)様?」
『さあ、今のうちじゃ』
「はい!」
 鬼太郎は宙に浮く金剛厥を両手で握ると、頭上へ振り上げ一直線に投げ放つ。勢いの付いた先端が惑うことなく羅刹の胸を貫いた。

 阿修羅の化身――そう邪悪な者だとばかり思っていた鬼太郎とネコ娘の目の前に居た羅刹は、意外にも霊石の浄らかな光に包まれ、徐々に険のある姿から人間へと浄化していく。
「・・・・羅刹、じゃないんだ。本当の姿は」
 ぽつりと鬼太郎は呟くと、傍らに居る少女に振り向く。ネコ娘もこの光に助けられたのだ。
 一瞬、こちらを向いたような気がした。ふっと目を合わせると、言葉を紡ぐような口の動きが見えた。何かを伝えようとしているのか、それとも悔恨の情を呟いていたのだろうか。
 同調するかのように鬼太郎もそっと声を出さずに一言だけ
『おやすみ、デーヴァ』
 返事はない。しかし、それでいい。完全に浄化された羅刹は、鬼太郎との永い間の呪縛から離れ、再び輪廻の輪の中へと埋没していった。
 これからもずっと輪廻の修行の旅が連綿と続く。それが人間として生きていくということなのだ。
「うん。怖いだけだと思っていたのに、何でかな・・・すごく哀しい」
「そうだな・・・ラクシャサとしてしか存在できなかったんだ。でもこれで・・・きっと救われた」
「これで良かったのかな・・・?」
「・・・サマヤだったら言うだろうね、『これで良かったんだ』って」
「鬼太郎もそう思う?」
 過去世の少年と比べるまでもなく、おそらく鬼太郎も同じように言うだろう、とネコ娘は思った。それを汲んだ鬼太郎の答えはただそっと
微笑むのみ。
『鬼太郎』
「迦楼羅様」
 静かに見つめていた二人へと、頭上からの迦楼羅王の声が響く。
『これで悪しき因果の糸を断ち切った。お前の父の思いが通じたのだ。分かるか?』
「はい。父さんは・・・僕をずっと見守っていてくれました。どんなことがあっても・・・僕を信じて待っていてくれた」
『そうか・・・本当に良き父を持ったな』
「ありがとうございます、迦楼羅様」
『ネコ娘・・・・お前も立派に役目を果たした。何故お前が選ばれたと思う?』
「えっと・・・・何でしょうか?」
 まさか自分にも話し掛けてくれるとは思わなかった。突然問われて、どう答えようかと逡巡する。
『鬼太郎に対する思いの深さを知った霊石に呼ばれたのだ』
「そ、そうなんですか!」
 思いの深さ、と言われると途端に恥ずかしくなる。いたたまらない気持ちで、鬼太郎がなんと感じたのかと思うと、ネコ娘は思わず両手で顔を覆った。
「ありがとう、ネコ娘」
 想像していたよりも遙かに優しい一言。けれど、やはり目を合わせられなかった。
『さあ、皆の元へ還りなさい』
 迦楼羅王の導きにより、二人は異空間から抜け出し、慣れ親しんだ横丁へと戻ったのだった。




         *                  *                  *




 鬼太郎とネコ娘、羅刹が消えてから随分と時間が過ぎたのを示すように、遙か西の空は鮮やかな紅色に
染まり、蜩(ひぐらし)の鳴き声が横丁に木霊していた。
 昼間、あれだけ暑かったのが嘘のように涼やかな風が時折吹いてくる。
 穏やかさを迎えた横丁の様子にまんじりと出来ぬアマビエは、つい溜息を吐いた。そして何とはなしに妖怪長屋の玄関先で集う居残り組に話し掛けた。
「あ~!鬼太郎とネコ娘、どうしちゃったんだろうね~」
「まあ、待て。鬼太郎のことだ、心配することはない」
「うーん、それにしても遅いよ。せっかく蒼坊主おじさん来てくれたのに・・・」
 落ち着き払う蒼坊主とは対照的に、呼子は不安げに眉を寄せた。
「わしらは待つしか出来んのじゃ。信じて待つしか――」
 年若い者達の気持ちを慮りつつ、子泣き爺はぽつりと呟いた。

 しばらくの後、あの少年の耳慣れた下駄の足音が近づいてくる。二つの長い影がぴたりと止まり
「みんな、ただいま」
 久方ぶりに帰って来たかのような照れ隠しの言葉。それ以外何と紡げばいいのか思い浮かばないのだ。
「鬼太郎!」
「おお!無事じゃったか!」
 一斉に立ち上がり口々に歓喜を表す仲間達に、鬼太郎はやっとはにかんでみせた。隣に居たネコ娘も彼の笑顔につられて微笑む。
「・・・鬼太郎」
 蒼坊主の手の中で座する目玉の父は、今にも顔中が溶けそうな程に涙ぐむ。
「父さん」
 たった一言交わすだけで、この親子は離れていた時を瞬時に取り戻す。慣れた手つきで鬼太郎は蒼坊主から大切な父親を受け取った。
「・・・・僕は駄目ですね。ひとりじゃ何も出来ない」
「ん?どうしたんじゃ?」
「迦楼羅様に助けを呼んだのは父さんですよね?」
「んん?迦楼羅様?わしは知らんが・・・」
「えっ!確かに言われたんですよ、迦楼羅様から」
 まさか父が知らないとは思わなかったのだ。鬼太郎は驚きに目を瞬かせた。
「私も聴いたわよ。親父さんのおかげだって」
 ネコ娘も同じく吃驚し、鬼太郎に同調した。しかし本当に目玉の父は何度も首を傾げるを見るに、迦楼羅王のことは知らないようだ。
「そうか。きっと閻魔大王様だよ、ネコ娘」
「あ!閻魔様ならきっと・・・」
「何にしろ閻魔大王様には後でお礼を言わんとなあ。お前の方が遙かに永いことお世話になっているんじゃ」
「はい、父さん」
 こうしている間にも、地獄王庁の長である閻魔大王は六道と妖怪世界のすべてを護ってくれているのだ。幽霊族の一人として生きている今も――。
 鬼太郎はそっと目玉の父を自分の頭の中へと乗せた。父にとって、そこはいつもの安住の場。
「おーい、今晩は祝宴だって!・・・ああ、おじじ!もう酒盛りはじめちゃってるよ~」
「いいんじゃ!今夜は無礼講、無礼講!」
 傘化けの呆れ声を上げているのを見、周りの者達の笑い声が広がる。平穏さを象徴するやりとりが始まっているのだ。
「あ~あ。一番大変だったのって鬼太郎なのに・・・」
「いいんだよ、ネコ娘。僕の為にみんな頑張ってくれたんだから」
 穏やかな笑みを浮かべる鬼太郎の横顔を、ネコ娘はほっとした心地で見つめた。
「そっか。そうよね、みーんな鬼太郎のこと大切だって思ってるもん」
「さあ、わしらも呼ばれるとするかのう」
 息子の琥珀色の髪に収まっていた目玉の父は、しみじみとした口調で促した。
 

 慌ただしく過ぎ去った夏の日々。
 永い時を生きる妖怪達にとっては、ほんの僅かの刻に過ぎない。けれど、彼らは生き抜く術を人間よりもしなやかに強く持っているのだ。

 この試練を乗り越え完遂したのは、鬼太郎が妖怪四十七士のリーダーに選ばれようとする数日前のことであった。





                                                    《了》











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