第12話



 周りを暖かく包む、そういう光を放っていたはずの霊石がネコ娘の息遣いを止めてしまったのだろうか。もしやと不吉な予感を拭い
きれずにいる面々は、沈痛な表情を隠しきれずにいたのだった。


 妖怪長屋の砂かけ婆の部屋で、寝具に横たわる明るく快活な少女の変わり果てた姿が痛々しい。正座し、身じろぎせず見つめる
鬼太郎へ背後で控える皆は掛ける言葉もなかった。
 羅刹が消えてから、嘘のように静寂が戻っていた。けれどその静けさがかえって辛いものになっている。こうしている間にも、ネコ娘
の身体は熱を失いつつあるのだ。
 つい数日前に、自分が同じように・・・否、それ以上に酷い状態となってしまったネコ娘へ今度は助けたい。そう鬼太郎は思いながら、
ただ手をこまねいているのがどうしても許せずに、自身への苛立ちが募っていく。
「ネコ娘・・・」
 思わず喉から絞り出す鬼太郎の声は、苦悩をそのまま形に表したようであった。
「鬼太郎・・・」
 彼の膝の前で胡座する目玉の父は、憔悴(しょうすい)している息子を何とかしたいと思いながら、滾々(こんこん)と思案を巡らす。
 気付け薬程度では少女を起こすことも出来まい。
 すでに現世との境を彷徨(さまよ)っているであろう魂魄を引き戻す事を考えねばならないのだから。
「そうじゃ!」
 唐突に張り上げた声に、驚く後ろの皆は一斉にそちらを向いた。しかし固唾をのんで見守るしかない。そんな背後の様子にも気づかず
に父は尚も続けた。
「鬼太郎、お前の力じゃ!」
 名案を思いついた自信に帯びた声音で言いながら、息子の膝の上によじ登り、俯く鬼太郎の眼を見つめた。幽霊族が持つ特殊な能力、
それに懸けてみようというのだ。それが一条(ひとすじ)の望みとすれば、少しでも縋(すが)るのも道理。
「お前の霊力で、ネコ娘の魂が黄泉の国へ旅立つ前に、引き戻すんじゃ!それが出来るのは鬼太郎だけなんじゃよ」
「父さん・・・?それって・・・」
 ネコ娘の魂に直接呼びかける――そのような事は今まで試みたこともない。しかし、ここで命の糸を繋ぎ止めねばならず、もう一刻の
猶予もないのだ。
「ネコ娘を目覚めさせる事が出来るのは、お前だけじゃ」
「はい。――分かりました、やってみます」
 父の力強い言葉に従ってみよう、と鬼太郎は頷いた。
 そうして鬼太郎は両手をネコ娘の胸の辺りにかざし、そっと瞑目する。やがて念を込めた掌からは、具現した柔らかな空色の光が
放射線状に輝いていく。真摯な思いが籠もる美しいその光は、とても妖怪の少年が放つものとは思えないものであった。
 身じろぎせずに霊力を放つ鬼太郎の琥珀色の髪が、波のようにうねり力が集中しているのがはっきりと分かる。
 柔和な光に導かれ、部屋の隅にいた横丁の面々はそろりそろりと少年の様子を窺(うかが)い始めた。ネコ娘を取り戻したいという
気持ちは皆同じなのだ。

 まるで時間(とき)の刻みが立ち止まったかのようであった。



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 鬼太郎は初めて使う己の力に内心困惑しながらも、懸命に出来るだけネコ娘の魂の中へと意識を沈ませていく。
 瞼(まぶた)の奥に映るのは、考えていたよりも遙かに違い、既にこの世の世界から隔離されてしまったのでは、と思わせる漆黒
で心許ない場所であった。
 それは中有(ちゅうう・注1)の果てしなく拡がる闇。どこまでも無明で、彼女の存在自体がどこなのかすら見分けられぬだろう・・・
と本能的に感じ、鬼太郎の心にぎくりと不安が走る。
 今、この魂の光を見つけることが出来るのは自分だけ――。自信はない・・・が、やるしかない。
『ネコ娘!何処にいるんだ!』
身体から絞り出すように、目一杯声ではない念波を送る。掴み所のない場は、少女の輝きを閉じ込めてしまったのであろうか。
孤独に埋没してしまう前に、自分の気力を高め何度でも呼びかける。
『お願いだ!ネコ娘、応えてくれ!』
 声にならない思念は、木霊することはない。が、一瞬目の前に見えぬ気配を感じた。錯覚なのか?鬼太郎は期待と緊張の混じる
心地で身構えた。
 やがて・・・冷えた大地を暖める陽と同じ感覚に包まれる。暖かさだけではない、何故かそれは懐かしさを加味した得も言われぬ
安堵感。それにつれて、暗闇に慣れた意識にも優しさを含んだ淡い光が徐々に膨らみ人型に縁取られていく。
『また・・・逢えましたね』
『あ、貴女は・・・?』
 現実味のない世界の中、けれどはっきりと分かる。あの浄玻璃の鏡越しで見ていた、かつて自分が母と呼んでいた女性。
 何度も涙を浮かべ、弱々しくも見えていた姿はそこにはなかった。凛とした意志の強さ、それでいて暖かさをたたえている佳人
(かじん)であった。
『どうして・・・ネコ娘は・・・』
 何故、ネコ娘ではなく過去の者が現れるのか・・・違和感を覚え、思わず呟く。
『・・・・わたくしは呼ばれたのです。黄泉の国の霊石に』
『それでは・・・』
『そうです。今はあの少女の魂の中に入り込んでいるのです』
 どうして?何故、を問うよりも人知を越えた魂の場なのだ、と思わざるを得ない。そういう力が霊石には宿っているのだと鬼太郎は
自身を納得させるしかなかった。
 少年の戸惑いを黙って見守る王妃はややあって口を開いた。
『霊石は世界と時間を護る石。私の時間(とき)をここへ引き寄せたのでしょう。私に役目を果たせ、と』
 そして、真摯な眼差しを向けながら続けて問うた。
『サマヤ・・・いえ、鬼太郎。貴方はその娘(こ)を大切に思っているのですか?』
『はい。大事な仲間です。大切な・・・友達です』
『命を懸けてもいいと・・・?』
『はい』
 よどみなく答える鬼太郎に、王妃は小さく頷くと、整った唇に微笑みをのせた。
やはり貴方はあの時に誓った思いを忘れる子ではなかったのですね・・・嬉しいです、やはり閻魔王の仰った通りでした』
『え・・・?』 
『デーヴァは貴方を穢れている、と言いました。でもそれは違います。貴方は何時でも自分よりも先に、他人の為に尽くそうと生きて
きたのですから・・・』
 ふと遠くを見つめるように王妃は柔らかく視線を逸らす。一呼吸置くと、再び語り出した。 
『あの時――私を助けようとした最期の時・・・貴方の身体に何本もの矢が貫こうとする前、無遮大悲(むしゃのだいひ・注2)の誓願を
立てたのです。ですから貴方は今でも人間を傷つけることは出来ない。無意識のうちにそれを心の奥で憶えているのですよ』
 もしかしたら、閻魔大王が浄玻璃の鏡で見せようとした本当の目的はこの事だったのだろうか。石積みの 牢獄――望楼にも見える
場所で、命尽きようとする瞬間あの少年――遙か昔の自分と呼ぶべきか――はそんな 誓約をしたのか。鬼太郎は信じられない心地
だった。でも、それでも。
『僕は・・・もしそうだったとしても、現世(いま)の自分を信じます。今はただ・・・目の前でしなければならないことだけを一生懸命やる
だけです』
 もう、迷わない。そう・・・決めたから。
 鬼太郎は王妃の言葉を穏やかに受け止めると、そっと笑いかけた。連綿と続く時代(とき)の流れを止めることなど誰にも出来ない
のだ。
 何度も自問自答を繰り返し、存在意義を見いだそうともがくことをやめた後に見えてきた光明。すべてが必然で、たゆまぬ生命の
営みがあり、そうして現在(いま)を生きている意味があるのだから・・・。
『お会い出来て、良かったです』
『私もですよ』
 霊石によってもたらされた邂逅(かいこう)に感謝しながらも、鬼太郎はネコ娘の安否を懸念(けねん)して いた。    
『ネコ娘・・・僕はネコ娘を助けたくてここまで来たんです。早く見つけ出さないと・・・』
『そうですね。私の役目を果たさねばなりません。遠い昔、貴方と縁(えにし)の糸で結ばれた――それは相応の意味があるものなの
です。ですから、貴方とあの少女とも繋がりがあるということは、何某かの役割があるの です・・・。その事を霊石は伝えたかったので
しょう』
 王妃の言わんとしていることは理解できる。しかし、それならばどうしてネコ娘の魂を混濁の闇の中へ追い やってしまうのか・・・
理不尽な気がする、と鬼太郎は思った。
 不信感を瞳に宿らせた少年に、王妃は察するように目配せを送った。
『霊石の力が弱まった今、元の輝きを取り戻すには、過去と未来を繋ぐ・・・貴方達の力が必要です。そこで 近しい者に助けを求めたの
では、と思うのです』
『でも・・・ネコ娘が苦しめられるなんて・・・羅刹の所為で・・・』
 闘いの中で、周りを見る余裕など全くなく無我夢中の中で、無防備にこぼれ落ちてしまった失態だった。今更自分や敵を責めたところ
で何にもならない。
『貴方なら、出来るはずです』
 鬼太郎の思いが表情に表れているのを見て取ると、王妃はきっぱりと言う。限りある時間の中で、伝えるべき本懐(ほんかい)だった。
そして・・・もう一つ告げることがあった。
『鬼太郎・・・まだ言っていませんでしたね・・・これからの戦いに必要な私の力を彼女に託します。その為にここに来たのです』
『もしかして、【役目】って・・・?』
『大切に思っている者達を助ける、それはすばらしいことです。ですが、このままでは救われない――私に与えられた命を果たしま
しょう』
 王妃は毅然と言い放つと、遙か天を仰ぐように顔を上げる。直後、胸元には金色の光を抱きながら律動し、辺りを燦然(さんぜん)と
照らし出す。本来、魂の世界は暗闇ではないことを示すかの如く、柔和で鮮やかな色が拡がっていった。
 陶然と見ていた鬼太郎は、つと見回すと、王妃の姿が見えないのに気がついた。慌ててみても、まばゆい光のみがどこまでも続いて
いるだけだ。
 さよならも言えなかった。もっともっと知りたいこともあった。そんな思いを抱くが、きっとネコ娘の魂を拾い上げてくれただろう、と鬼太郎
は感謝していた。


 すぐ傍にいるような気がする。あのいつもの元気なネコ娘の笑顔が脳裏をよぎる。鬼太郎は、彼女独特の気配を感じていた。
 どうしてこんなに近くにいるのに・・・気づくのが遅いじゃないか。
 鬼太郎は自嘲の笑みを浮かべた。今度こそ応えてくれる、と再び大きく呼びかけた。 
『鬼太郎・・・?鬼太郎なの?どうしてここにいるの?』
 背後から、耳慣れた声が届く。久方ぶりに聴いたように驚いて振り向いた。その姿は平素の勝ち気さを打ち消された無垢なものだった。
『・・・・迎えに来たんだよ。還(かえ)ろう、ネコ娘』
 幼子のように純真な少女の瞳に、鬼太郎は眼を細めて微笑みかけ、ゆっくりと手を差し伸べる。惑うことなく白い腕が伸びた瞬間、指先を
たぐり寄せしっかりと握りしめた。
 けして離さない――。強く強く念じながら、生きる者達の集う世界へとネコ娘を導いていく。
  【縁の糸で結ばれた者には、それ相応の役目があるのです】
 王妃の言葉の重さを噛み締めながら、鬼太郎は父と皆の待つ場所へと辿り着こうとしていた――。




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 鬼太郎の手元が緩やかに力が抜けていくと同時に、青ざめていたネコ娘の肌は赤みを増し、快復の兆しを見せ始めた。
 精一杯力を使った故に、鬼太郎の表情に疲れも滲(にじ)む。しかししばらくの後、静かに隻眼を開き、ゆっくりと顔を上げ長く息を吐いた。
「だ、大丈夫か!鬼太郎」
 ひたすら見守っていた目玉の父は、まだ辛そうに肩で息をする息子を心配気にのぞき込む。
「大丈夫です、父さん。もうすぐ・・・ネコ娘は戻ってきますよ」
「そうか、そうか・・・良かったのう」
 ネコ娘の無事と、鬼太郎も自分の出来うる限りの術(すべ)を出し切った・・・という二人の力を信じて良かったと父は心底胸を
なで下ろした。ふと見上げれば、微かな寝息が聞こえてくる。すっかり安堵したのであろう鬼太郎はこくりこくりとそのまま眠りについて
いたのだ。  
「お疲れさん、鬼太郎・・・」
 後ろで覗っていたかわうそは、しみじみと呟くのだった。



 もうすぐ戻る――という鬼太郎の言葉の通り、ネコ娘の呼吸はしっかりと息づき、柔らかな頬がほんの少し動き出す。 
「おお!!気がついたか、ネコ娘」
 真っ先に声を掛けたのは砂かけ婆であった。目覚めるまで傍にいてくれたのか、とネコ娘は思いながら気怠(けだる)げに喉を絞り
「・・・私、どうして・・・?」
 まだぼんやりとしたままで、ゆっくりと瞳を揺らし視線を皆へと移した。虚ろな光を探るように瞬きを繰り返す。傍らには、座ったまま頭を
垂れている鬼太郎が疲れ切ったように眠っている。
「鬼太郎・・・」
 ポツリと呟くと、彼が夢の中で確かに自分を探し求めてくれたのかと思い出し、途端に切ない気持ちが胸の奥でこみ上げる。小さく呼び
かける声は、鬼太郎の耳には届かない。しかし、昨日までどんなにか気を張っていて、自分を気遣ってくれているのかをよく分かっている
ネコ娘には、ただこうして静かに眠っている姿を見ているだけでも安心だった。
「ずっと・・・鬼太郎が傍にいてくれたの。真っ暗な場所で、何にも見えない所だったのに、鬼太郎の声だけは聞こえてた・・・」
 あれは夢じゃない――と思う。漆黒の中、暖かさを与えてくれたのは紛れもなく鬼太郎なのだから。そう強く思えるほど深く記憶している
のだ。
「そうじゃよ・・・鬼太郎はお前さんの魂の中に入り込んだんじゃ。初めてそんな事をしたもんだから、大分疲れたんじゃろうて」
 布団の端で立っていた目玉の父は、労いの眼差しで息子を見つめた。時折琥珀色の髪が寝息を立てると共にゆっくりと揺れていた。
どうやら深い眠りにあることが分かる。元来幽霊族というのは、特別な力がある・・・というのは自身の経験から十分分かっていた。
が、見事にこなした息子に目玉の父にとって内心誇らしく、またそれに頼らざるを得なかったことに複雑な思いが錯綜(さくそう)していた。
「ともかく・・・良かった」
 軽く嘆息し、気持ちを切り替えてこれからのことを考えねばなるまいと父は顔を上げ、鬼太郎とネコ娘を交互に見るのだった。
 しんみり・・・という雰囲気から割って入ってきたのは、たまらず顔を出してきたアマビエだ。
「良かったよ〜ネコ娘が起きて。アタイ、本当に心配だったんだよ?」
「アマビエ・・・ありがとう」
 まだ顔色は芳(かんば)しくはないネコ娘であったが、それでも目覚めてくれたことがアマビエにとって嬉しかったのだ。
 ネコ娘の声を皮切りに、その様子を見守っていた面々は、わらわらと集まってくる。代わる代わるのぞき込み 口々に見舞いの言葉を
掛ける皆へ 
「これこれ、まだネコ娘は起きたばかりなんじゃ。あまり刺激しないようにな」
と、砂かけ婆は窘(たしな)めた。
「そうそう、鬼太郎だって頑張ったんだもんね。ちゃんと休ませてあげようよ」
 お為顔のアマビエをちらりと見、目玉の父は苦笑いを零す。
 一山を超えたということで、一同は緊張感から解放されたように顔をほころばせていた。一時の安らぎ――というべきか。だが・・・消えた
羅刹、脆くなった霊石、諸々の問題を一つずつ乗り越えねばならないのだと、笑顔の中でも各々が胸中に不安を残しているのであった。






                                                                       

注1・・・中陰と同じ意味です。

注2・・・どんな人にも差別することなく、あらゆるものにも平等でさえぎることなく寛大な慈悲の心。仏教用語です。