第1話


肩から下腹部にかけて力が入らない。ずっしりと鉛を飲み込んだような不快感に身動きが
出来なかった。
そうか、これは夢だ・・・。
周りのセピア色に包まれた見慣れた景色がそれを覚らせたのだ。
覚めてしまえば関係ない。と思うのだが、嫌な感覚が拭いきれず、遠く近くに聞こえる不思
議な呪文の如く聞こえる声が耳から離れなかった。


          *          *          *


この所、平穏無事といった様子のゲゲゲハウス。
夏の暑さはピークを迎えていたが、妖怪達の世界ではここがきっと本番といった風情で、横丁では
盛大に夏祭りを開催したばかりである。
目玉の父は実に1ヶ月も前から張り切っていて、自治会長兼商店会長の油すましと共に奔走し
ていたのだ。
鬼太郎はそんな父を微笑ましくも、辟易しつつも見守っていた。
暑さの所為で眠れずにいるだけだから・・・と不快な夢の話は一切話さなかった。
今ここで話したところで、いたずらに心配をかけるだけだと思いとどまったのだ。何しろ父は自分に
対して並々ならぬ期待をかけているのが分かっていたからだった。
「ん?どうした?鬼太郎」
卓袱台の上で胡坐をかく目玉の父は、息子の表情が気になって声をかけた。
「え?何です?父さん」
じっと座っているだけなのに、何か?と鬼太郎は小首をかしげた。
「何だか顔色が悪いようじゃが、大丈夫か?」
「そんなことないですよ、父さん。熱帯夜の所為でちょっと寝不足なのかもしれませんが」
「まあなぁ・・・これも地球温暖化、というヤツかのう」
目玉の父は、鬼太郎の言葉を鵜呑みにするとしたり顔で呟いた。
そうこうするうちに、階下から妖怪達の声が響いてくる。どうやら祭りの後片付けの迎えにきたよう
だった。
「おお、すまん、すまん!」
父はぴょこんと立ち上がると慌てて走り出す。鬼太郎はさっと手を差し出すと自分の髪の上に乗せ
た。
「今行くよ」
代わりにそう返事をすると、ゲゲゲハウスを後にしたのだった。


          *          *          *


目玉の父は、仲間の迎えで横丁に向かった。鬼太郎も一緒に・・・と歩いていたが、息せき切って
走ってくるネコ娘の呼びかけに立ち止まる。
「ねえ!きいて!今ね、私の友達がカラスの森に遊びに行ったら、様子が変だったって言うの!鬼
太郎もついて来てくれる?」
「カラスの森?」
普段あまり寄り付かない場所だ。ネコ娘の友達・・・いわゆる猫の気まぐれで迷い込んでしまったの
か。『変だ』というからには何かあったのだろう。
「とにかく急ごう!」
「うん!」
二人は雑木林の小道とは別の方角にある森へと急いだ。


木々が鬱蒼と覆いつくすカラスの森は、変わらず互いを呼び合わせるような彼らの鳴き声のみが響く
実に独特の雰囲気を持った空間である。
鬼太郎は森の入り口で一反足を止めると、具体的に気になって、苦しそうに息を整えるネコ娘を少しだけ待つと
「変だって・・・どういうことだい?」
と訊いた。
「私にも・・・よくわかんないんだけど、突き当たりの地獄岩が変だって」
「地獄岩・・・?」
ここの森の奥には、地獄岩と呼ばれる由緒正しい地獄への裏口のある貴重な場所があった。
葉月は何かと亡者達が落ち着かない時期でもあるし、昨晩慰霊碑の前で泣いていた少女の霊を
慰めてやったばかりでもある。鬼太郎は妖気を辿るため、妖怪アンテナを使おうとした。しかし何も
反応は無かった。
「特に気になる妖気もなかったし・・・行ってみない事には分からないな」
「そうね」


辺りは次第に向かい風が増し、嫌な空気が漂い始めた。やはり何かあるのだろうか?
見上げた先には、けたたましく羽ばたくカラスの群れが飛び去るところだった。
「カラス達、落ち着かないみたいだな」
「うん・・・いつもと違うみたい」
ネコ娘も何かを感じている。自分だけではないのだと鬼太郎は内心ホッとした。
そのうちに二人は地獄岩の入り口へと足を踏み入れた。鬼太郎は、辺りを見渡しながらゆっくりと
岩に近づいていく。
あと少しで、高い位置の注連縄のかかるそばまで行く瞬間、途端に体の力が抜け、がっくりと膝を落
とす。
「鬼太郎!」
驚いてネコ娘は慌てて鬼太郎の元へ駆け寄った。両手で耳を押さえ、顔色も真っ青になった表情
を見てさらに驚いてしまう。
「どうしたの!苦しいの?」
「や、やめてくれ!いいから、近づくんじゃない!」
介抱しようと腕を伸ばしたが、鬼太郎は思い切り見えない何かを振り切ろうと必死だ。
ただならぬ様相に、ネコ娘は困惑しながら見守るしか出来ない。
「あの時と同じだ・・・夢で聞いたのと・・・」
振り絞るように呟くと、やがて地面に吸い寄せられるようにネコ娘の前で倒れこむ。
咄嗟に助け起こそうとしたが、既に意識が途切れているようだ。
「鬼太郎、どうしちゃったの?起きて!起きて!」
突然の出来事に、ネコ娘はただ彼の名前を呼び続けるのだった。