落花流水〜時を想えば〜



「今夜も遅いのかな・・・?鬼太郎」
手持ち無沙汰な感情を持て余しながら、ネコ娘はぼんやりと囲炉裏に座するつるべ火を見つめていた。
 卓袱台の上には、小さな布団の中で眠っている目玉の父が、静かな寝息を立てて眠っている。
自分もつられて、うつらうつらと瞼が重くなるのを堪えながら、ひたすら待っているのである。
 ここに居付いてから、何日が過ぎただろう。きっかけは当たり前のようであり、必要とされていたからに他ならなかったが、いつまでも・・・という訳ではなかった。

 永い間、仲間として・・・それ以上の一線を越えるような大げさな出来事もなく過ごしてきた。しかし、最近になって彼の様子も変わってきていたのだ。ネコ娘に対し、随分と優しく接するようになっていた。目玉の父もそれとなく喜んでいたし、自分だって嬉しい。けれどそれがどうしてなのかまだ気持ちが掴めずにいたのだった。

かくん、と首がもたげた時、外の梯子段を不規則に足音を立てる気配を感じた。慌てて立ち上がり入り口の方へと二、三歩歩いた瞬間、やや乱暴にコモが持ち上がる。
「鬼太郎、お帰りなさい・・・また飲んできたの?」
 入ってきた自分より頭一つ分高い背の青年に、つい眉を寄せながら咎めてしまう。それを振り払うかのように
「ネコ娘には関係ないだろ」
 ぶっきらぼうに言い放つと、その場で腰を下ろした。大分アルコールを飲んだらしく、その場で倒れこむように横たわるとあっという間に眠りについてしまったのだった。


 今では鬼太郎の方が何もかも追い越してしまった。背も体つきもすっかり少年のそれではない。
 妖怪と対峙しても、技を使った攻撃力も誰も適わないほどなのだ。
 妖怪横丁の妖怪たちも、昔よりもさらに鬼太郎に一目置くようになっていた。そして、一人の男性として認められるまでになっていたのである。

 ネコ娘は、寝入っている鬼太郎を寝具まで移動させようと、肩を押しはじめたがやはり重い体の所為でびくともしない。気持ち良さそうな寝顔を見ながら、小さく息をついた。
(私のこと・・・どう思っているの・・・?)
 居心地が決して悪いわけではない。だが長年変わらぬ関係として接してきて、彼の気持ちをはっきりと聞いたわけではなかった。
 それでもいい。鬼太郎の側に居られるのなら・・・。


          *          *          *


「おお、また今晩も飲むか〜?」
 横丁の路地裏に足を踏み入れた途端、親友のねずみ男が声をかけてくる。ゴミ箱を漁っていたのかと思えば、妙にニヤ付いた笑みで言って来る辺り、何か言いたいようだ。鬼太郎は肩を竦めながら
「別に構わないけど・・・何だよ、にやにやして」
「ま、男同士、積もる話もあるってことよ。いいだろ?」
「ああ」
 そう返事をしながらも、一瞬何故かネコ娘の顔が浮かんでちくりと胸を刺した。時折、彼女の表情が瞼の奥に入り込んでいるような意識が離れない。最近は特にそうだ。以前よりも女性らしい仕草や表情を見る度に、いちいち胸の高鳴りを感じてしまうのだから・・・それを避ける為にゲゲゲハウスに帰りたくないなどと誰にも言えなかった。
 ねずみ男は『いつものところで』と言い残すと、上機嫌に鼻歌を響かせながら去っていったのだった。



 横丁の酒場通りは今夜も変わらず、夜な夜な酒好きの妖怪達の溜り場だ。数件ある内のとある一角で、昼間に約束を交わしたねずみ男と鬼太郎が差し向かいで席についたところだった。

 お通しが運ばれてきた後、ぐいぐいと先に冷酒を飲むねずみ男を、やや呆れながら鬼太郎はそれを眺めていた。
「あんさあ、お前ネコ娘のことどう思ってんの?」
「・・・なんだよ」
 酔った勢いで話しているのだろう。そう思うのだが、何を藪から棒に話してくるのだと内心穏やかではない。
「この間の一件以来、鬼太郎ちゃん、あいつのこと避けてるんじゃねえの?」
 この間の一件・・・妖怪退治の際、連れ立ったネコ娘への攻撃から守ろうと自分が毒矢に刺さり、三日三晩寝込んだのを彼女が看病してくれたことだ。そのまま居候という形でネコ娘はゲゲゲハウスに滞在する様になったのである。
「お前には関係ないだろ、何だよ急に」
 それにしても、嫌な絡み方だ。酒の所為で潤んだ目でこちらを伺う様がどうにも苛立つ。
「昔っから知ってんだよ。ネコ娘のヤツお前に惚れてんのをさ。いい加減、認めてやれよ」
 確かに・・・自分に好意を持っていてくれていることなど、とうに見抜いている。それが分からない程もう子供ではない。そして自身の気持ちもとっくに気づいているのだ。
「認めるも何も・・・どうしてお前に言われなきゃいけないんだよ!」
 きっと剥きになって、つい声を荒げてしまう。それを見て、ますますねずみ男はおどけたように
「最近随分色っぽくなったもんなあ。けどよ『私は鬼太郎だけが好きなの』って余所の妖怪共にバリア張っててさ、見てるこっちがヤキモキするんだよ」
 そういい終わると、わざとらしくため息をつきつつ、手酌で冷酒を猪口に注ぐ。空いていた鬼太郎の猪口にも注し、呑むように促した。
 鬼太郎はぐいっと一気に飲み干し、深く息を吐くと意を決したように
「好きだよ。もう・・・ずっと前から。でも言うつもりはない」
 清水の舞台から飛び降りるが如く行った言葉は、瞬時ねずみ男の高笑いと盛大な肩叩きでかき消されてしまった。
「やっぱり惚れてんの〜鬼太郎ちゃん。早いとこ告白しろよ〜」
 言わなければ良かった・・・。酩酊したヤツに何を言っても真剣になど受け止めることはないのだ。おちゃらけた雰囲気に持っていかれたのも悔しい。
「もしかして、話ってこのことかよ?」
 恥をさらされたような、しかしこれでいいのかもしれないと複雑な気持ちだった。
 困惑した表情の鬼太郎を見ながら、ねずみ男はふっと真顔に戻り
「俺はアイツが苦手だけどよ。いいところあるんだろ?もっと女として見てやれよ。親父もそれを望んでる筈だぜ」
 先程とは打って変わってらしくない親友の忠告だ。ここは素直に受け止めておこうと思う。
「・・・ありがとう、ねずみ男」
「いいってことよ!俺たち親友だろ?」
 さあ、呑めよ、と追加した酒を互いに酌み交わしながら、他愛のない話をする二人であった。


          *          *          *


 今日もまた、彼の帰りを待つだけなのか・・・。ネコ娘はハウスの窓から空を見上げた。今晩は満月の優しい光が部屋の中まで差し込んできていた。導かれるままに外へ出ると、周りの沼の蛙達が家人を待ち望んでいるように鳴いているのが聞こえてくる。
「・・・鬼太郎」
 想い人の名前が口の端から零れてしまう。けれど、こうして待つだけの時間も本当は愛おしい。ネコ娘は微かに笑みを浮かべると、足元の小さな花の蕾を見つめていた。
 

 しばらくの後、雑木林の方角から橙色の明かりが近づいてくるのが見えてきた。明かりの高さから鬼太郎だとすぐに分かった。昨晩より大分早く帰ってきてくれた。そう思うと、ネコ娘はたまらず駆け出した。
「まだ寝てなかったのかい?」
 特に驚くわけでもなく、鬼太郎は淡々としたものだ。それでも嬉しくて微笑んでしまう。
「うん。鬼太郎、今日もお酒飲んだでしょ?分かるよ」
「い、いいだろ、別に」
 窘めるでもなく逆ににこにこと笑う彼女の様子に、鬼太郎は内心狼狽していた。どうしてか、やましいことをしているような気分なのだ。
 ねずみ男の忠告が不意に思い出される。好意をもつ娘のまっすぐな眼差し。酔いに任せて言ってしまおうか・・・
「ちょっとそこまで歩かない?」
 話しかけると、純粋に喜ぶ彼女の横顔を見ながら鬼太郎は先に歩き出す。
 ゲゲゲの森の外れには、化け烏しか寄り付かない場所があった。静まり返った月夜の森は、落ち着いた空間を醸し出していた。この辺りでいいだろう、と鬼太郎は後ろを振り返った。
 以前のようなピンク色の大きなリボンではなく、小振りの大人しい色の髪飾り、アジアン調の上品なロングスカート姿のネコ娘は、月の明かりに照らされてとても美しく映えて見えた。
 服装だけではない大人らしさを兼ね備えた可愛らしい容姿に、改めて惹かれてしまうのだ。
「あのさ・・・ネコ娘」
「何?」
 とても穏やかに聞き返す彼女の視線にドキリとする。
「・・・いつも言おう、言おう。そう思っていたんだけどさ」
「うん」
「居たかったらずっと居てもいいんだ。父さんも喜ぶしね」
「・・・いいの?私なんかがいて」
 取っ掛かりに過ぎない言葉を繋いだだけだった。しかし、目の前の娘はぽろぽろと涙をこぼし始めた。
驚いて慰めようと彼女の肩に手を乗せようとした瞬間
「私・・・鬼太郎に必要とされてないんじゃないかって、不安だったの。貴方を看病するとか、何か理由がなければ居る口実にならないんだって思ってた」
「な、何言ってるんだよ!理由なんていらない。いちいち理由なんて考えたことなんてないよ」
「いいの?鬼太郎はそれで」
 涙で潤んだ瞳を向けて懸命に言うネコ娘に、鬼太郎は思わず肩を抱き寄せた。頑なだった背中は次第にこちらへ預けてくる。今まで自身の想いを肯定してこなかったことを、ここではじめて後悔したのだった。
「好きだよ、ネコ娘。ごめん、待たせたね」
 いとも簡単にするりと告白出来た自分に心中驚いてしまったが、素直に吐き出すことで、やっと重荷をその場から下ろしたような清清しい気分だった。
 頭上から降ってきた待ち焦がれていた言葉に、ネコ娘は魔法でも掛けられたような俄かに信じられない心地だった。後からじわりと喜びが胸の底から駆け上ってくるようだ。
「・・・私も、鬼太郎が好き。大好き」
 思い切って見上げてみると、今までにない彼の柔和な笑顔を見つけた。
「ずっと一緒にいてくれるね、ネコ娘」
「・・・うん、うん!もちろんだよ、鬼太郎」
 そっと握られた大きな手の温もりは、ネコ娘にとってこれから先も変わることはないだろう。それを物語るようにしっかりと彼の腕が支えてくれていたのだった。


         *          *          *


 悔しいが、ねずみ男の忠告なしではきっと二人は結ばれなかったかもしれない・・・と鬼太郎は帰り道で思った。
このことは彼女には絶対内緒にしておこうと心の中で堅く誓ったのである。

 その後、二人は妖怪横丁一の鴛鴦カップルと周りから密かに呼ばれるようになっていた。けれど、当の本人達は至ってマイペースな日常を送っている。だからこそお似合いなのかも・・・と影の功労者はひとりごちているのだった。
                               

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