スターチス
あ、また届いてる。
溜息まじりに思わず口をついて出たのは、そんな言葉。
あたしは妖怪ポストからそれを取り出して、鬼太郎の家へと入る。
片方の手に提げたビニール袋が、かさりと音をたてた。
「はいこれ、また届いてたわよ」
いけない、ちょっと声が尖ったかも。
でも鬼太郎は気にする様子もなく、ありがとうと、可愛らしくラッピングされたそれを受け取った。
あたしは鬼太郎と斜むかいになるように、卓袱台の前に座る。
立春も十日ほどすぎた今日は、二月も半ば。
鬼太郎が手にしているのは…つまりはチョコレートだ。
「今年はやけに多いですね」
格段喜ぶでもなく、また嫌がるでもなく、封を開けて中に入っていたメッセージを一通り読んで、
鬼太郎は家の一隅に積んであるチョコレートの小さな山のてっぺんに、今手にしたばかりのそれを乗せる。
「よいではないか。感謝の気持ちの表れじゃよ」
甘い物に目がない親父さんは、そう言いながらも結構嬉しそうだ。そんな親父さんにそうですね、と鬼太郎は
今日も折り目正しく言葉を返す。
チョコレートなら、あたしだって毎年あげている。
だけどそれは、あたし個人としてではなく、横丁の女の子チームのみんなで、横丁の仲間全員に配ったうちの、ひとつ。
鬼太郎がこういう行事をあまり好まないのはしっているし、それより何より、あの山の片隅に収まるのだけはいやだった。
それにしても、女の子たちはみんなどんな気持ちでチョコを贈ってくるのだろう。親父さんは『感謝の気持ちの表れ』
だと言った。もちろんそれもあるだろう。だけどそれ以上の気持ちを込めたものも、きっとあるはずだ。だって闘っている
時の鬼太郎は格好いい。それが自分のためだとあれば、なおさらそんな気持ちを抱いても不思議はない。ただ、今まで同じ
差出人から二回以上届いたことはなく、その想いの淡さにあたしはいつも安堵する。
「ところでネコ娘…その袋は何?」
鬼太郎が傍らにおいてある白いビニール袋を指差した。
あたしは袋から黒のビニールポットを取り出す。
「花の苗よ。ちょっと育ててみようと思って、買ってきたの」
「…なんかその葉っぱ、大根みたいだね。食べられるのかい?」
鬼太郎はその苗をちょっと見て言った。
あたしはその言葉に少しがっくりする。けれど鬼太郎らしい、とも思う。鬼太郎に花のことなんか話しても仕方のないこと
ぐらい、わかっている。
「やあね。大根じゃないわよ。この花はね『スターチス』って言うの。春になったら、綺麗な紫色の花を咲かせるんだから」
ふーん、と鬼太郎はさして興味もなさそうに、相槌を打った。
鬼太郎の家から帰って、あたしは早速スターチスの苗を素焼きのテラコッタの鉢に植え替えた。
一緒に買ってきた園芸の本によれば、植え替えたばかりの花は直射日光に当ててはいけないそうだ。
あたしは鉢を日陰において、その前で頬杖をついた。
少し前までバイトしていた花屋では切花になったのをよく見たけれど、こうやって鉢植えのスターチスを見るのは初めてだ。
なるほど。確かに葉の形は大根のものとよく似ている。
あたしはくすりと笑って、放射状に伸びた葉っぱを一枚、ちょんとつつく。
暖かくなるにつれ、スターチスは順調に大きくなった。
葉っぱの数が増え、茎が伸び、小さな花芽をつけ始めた。
今はもう外に出し、お日様の光をたっぷり浴びて、葉っぱの緑も濃くなっている。
あたしは毎日それを眺めては、花の咲く日を指折り数えるようになっていた。
ある日、あたしはバイトでどうしても丸二日、家を空けなくてはならなくなった。
真っ先に気になったのは、スターチスの鉢のこと。
けれどだいぶ大きくなったし、随分暖かくなった。
もともと水をあまり必要としない花なので、出かける前に水をしっかりやっておけば、一日くらいは平気だろう。
お日様が大好きだから、家の中には入れなかった。
出がけにやっぱり大根みたいな葉っぱをちょんとつついて、行ってくるよ、と声をかける。
バイトが終わって横丁へ帰ってみると、春の嵐が通り過ぎた後。
横丁のみんなが、後片付けに追われている。
つるべおとしは店の看板が折れたと嘆いていたし、砂かけはアパートの外に出していた縁台が壊れたと、がっかりしていた。
どうしよう。
あたしの小さな鉢なんか、きっとひとたまりもなかっただろう。
あたしは急いで家に帰った。
鉢があったはずの玄関脇には、森の木の枝が飛んできていた。
慌てて枝をよけてみても、そこにはなにもなかった。
きっと風で飛ばされたんだ。
あたしは悔しさを噛みしめながら、それでも諦めきれずにあたりを探す。
どうして家の中に入れておかなかったんだろう。
見つからない花にごめんねと謝りながら、あたしの視界が涙でぼやけた。
そこへカランコロンと下駄をならして鬼太郎がやってくる。
「――ネコ娘?なんで、泣いてるの?」
鬼太郎はちょっと驚いたように声をかけてきた。
あたしは俯いたまま、昨日一晩家を空けているうちに、嵐があたしの鉢をどこかへ飛ばしてしまったのだと、途切れ途切れに返事をする。
「君の花なら、ここだよ」
驚いて顔を上げると、鬼太郎が小さな鉢を抱えて、笑っていた。
「どう・・・して?」
「だって、大事な花なんだろう?風で飛ばされたら大変だと思って、一晩預かってたんだ」
はい、と鬼太郎はあたしに鉢を渡した。
「あ、あり…がと…」
あたしは何だか信じられない気持ちで、その鉢を受け取る。鉢はちょっと重たくて、その重みが嬉しかった。
どういたしまして、と言う鬼太郎の手には、一通の手紙が握られている。
「…また何か事件なの?」
あたしが見ているものに気づいて、鬼太郎は頷いた。
「大したことはなそうなんだけど、ちょっとこれから行ってくるよ」
そう言って鬼太郎はあたしに手紙を見せてくれた。
確かにこれぐらいなら、鬼太郎はひとりで何とかできるだろう。
ただ――手紙の筆跡は明らかに女の人だった。鬼太郎は、今日はこの女性のために闘うのだ。
…この女性は、来年の冬、チョコレートを贈ってくるだろうか。
馬鹿みたいだとわかっているけれど、あたしはその未来の贈り主にちょっとだけ嫉妬する。
そして本当に馬鹿みたいだったので、すぐにやめた。
確かに、闘っているときの鬼太郎は格好いい。
だけど、あたしが本当に格好いいと思うのは、こんな風にさりげない優しさを見せてくれるときだ。
あたしはスターチスの鉢をぎゅっと抱えた。
涙の痕が乾いて、頬が突っ張るのは少しみっともないと思ったけれど、あたしは鬼太郎に笑顔を見せた。
「本当にありがとう。これ、大切な花だったの」
「そう。役に立てたみたいで、よかったよ」
「お礼に今日は晩御飯をご馳走させて。もちろん親父さんも一緒に」
「ああ、そいつは助かるなあ」
「鬼太郎の家で待ってるから、頑張ってきてね」
「頼むよ」
鬼太郎は、じゃあ行ってくるよと踵を返した。
あたしは少しだけその後姿を見送って、腕の中の鉢をもう一度抱きしめる。
スターチスの花言葉は『変わらぬ心』。
――あたしの想いは、これからも変わらない。
しお様よりのコメントです
企画概要に”格好いい高山鬼太郎”というのがありましたので、
自分の思う”高山の格好いいところ”というのをネコ娘に代弁してもらいました。
ネコ娘が花を育てているのは、私の個人的な趣味です(笑)
しお様、ご投稿本当にありがとうございました!!
ネコちゃん、本当に健気ですね・・・(ホロリ)
いつも側で鬼太郎を見ている彼女の繊細な感情が良く分かる素敵な作品ですねvv
これからもブログ活動頑張ってください!!
井上より
閉じてお戻り下さい