晴れた日に、道草摘んで
本当はずっと前から分かっていたこと。けれど、諦めたくはない――。逡巡を繰り返しながら、辿り着く答えはただ一つ。
独りでいる時も、彼の側にいる時も、こんなに心が揺れる基の唯一の存在。それが彼なのだ。
「ネコ娘、ありがとう」
たった一言聞くだけで、今までの徒労も吹き飛ぶのだ。その為の努力は惜しみたくない。
自分の気持ちを隠しながら、笑顔の横へ居られる幸せを噛み締めていた。
* * *
ネコ娘はいつもの様に、ゲゲゲの森の麓にある彼の自宅へと足を運ぶ。以前から日課と化した道のりを行き来しているのである。
「ねえ、鬼太郎?居る?」
入り口の簾を捲り上げて中を覗いてみれば、家人の二人は未だ夢の中だ。質素な造りの家の中央には、昔ながらの囲炉裏がすえられ、板の間に御座を敷いただけの寝具。そこへ琥珀色の髪に隻眼の少年が仰向けで横たわり、規則正しく寝息を立て、とても気持ち良さそうに眠っているのだった。
時々こういう光景を見てしまうのは、ひとえに彼が日がなゴロゴロと横になっているのが至福の時だ、と言って憚らない生活振りを垣間見てしまうに他ならない。
しかし、実の所こっそりと寝顔を見られるのも、ネコ娘にとってはとても好機なのだ。妖怪退治の真剣な戦いを間近でみられるのも、頼られるのも嬉しいのだが、日常のリラックスした彼も密かに心の中で留め置きたいという、女の子らしい感情もあった。
急に薄暗い部屋の中へ一筋の光が差し込んでくると、嫌々ながら鬼太郎は反応し始めた。
「あー、ネコ娘か〜」
まだ寝ぼけ眼で、大きく伸びをすると大あくび。続けて御座の端で小さく丸まっていた目玉の父親も目を覚ました。
「もう!『ネコ娘か〜』じゃないでしょ?こーんなにいいお天気なのに、寝てちゃもったいないよ」
「で、何かあった?」
今日は妖怪横丁へ遊びに誘おうと思って、こうしてやってきたのだ。大きな事件も最近はあまりなく、穏やかな日が続いていた。
何かしらの理由がなければならない、という訳ではないが、鬼太郎を納得させる口実は簡単に見つからない。
「何かって・・・特にないけど、横丁まで一緒に行こうと思って」
「なら、ネコ娘一人で行ってきなよ。僕はまだ寝たいし」
「こらー!起きろー!」
何時までも『春眠暁を覚えず』を実践している鬼太郎に、ネコ娘は一喝した。
「そうじゃな、眠りすぎて頭痛がしてくるようじゃわい。おい、鬼太郎、起きんか!」
息子の体たらくに、父も合わせて起こしにかかる。そうして、ようやく鬼太郎は起きたのだった。
* * *
外へ出てみれば、季節はすっかり春らしく、やや汗ばむ位のよい天候だ。色とりどりの花や緑が、ここの豊かな自然の中で誇らしげに競っていた。
鬼太郎とネコ娘は横丁へのんびりと歩いて向かった。誘えばそれなりに相手をしてくれる。ネコ娘は、それだけでも嬉しかった。
雑木林を抜け、開けた野原の一本道まで出ると、シロツメクサの群生を見つけた。
「ねえ、ねえ見て!シロツメクサだよ!」
ついはしゃぎながら駆け寄ると、しゃがみこんで摘み始めた。
「そっか、今日はここへ連れてこようって訳か」
やや呆れ顔で鬼太郎は彼女の側に立った。
「そんなんじゃないけど、大好きなんだもん、シロツメクサ」
ぷうっと頬を膨らませて見せて、それでも摘む手は休めない。とうとう膝をついて本格的に座ってしまう。道草・・・といっても、急ぐあてもなし。気ままな時間の使い方をしているだけ。
鬼太郎は彼女のしたいようにさせていた。何しろネコの気質をもつ少女だからだ。
「楽しいかい?」
彼女の右脇に寄り、そう静かに訊きながら屈みこむと、器用な指先を見つめていた。じっとこちらを見ている視線に気がつくと、ネコ娘は途端に意識して手を止めた。
「うーんとね、ちょっと待ってて」
「いいよ、気が済むまでやっててさ」
言いながら、柔らかな草の上に、両手を組み首筋へ枕にしてごろりと寝転んだ。空はどこまでも澄んでいて、ふわりと浮かぶ雲の群れも、のほほんとしているように見える。こんな穏やかな日もいいのかもしれない――。
つい、うとうとと仕掛けた時
「ね、鬼太郎。起きて!」
隣に居たネコ娘が肘を揺らしてくる。
「ん?どうした?」
のっそり起き上がりしな、ひんやりと髪を覆う感触が降ってきた。
「やっはり似合うね。鬼太郎!」
破顔したネコ娘を目の前に、鬼太郎はきょとんとしている。ネコ娘はシロツメクサの冠を編み上げ、そのまま彼の頭の上に乗せたのだ。大きさも丁度よくはまっていて、なかなか見られる姿ではないだろう。くすくす笑いながらも、ずっと眺めていた。
「え?何、何?」
「鬼太郎、すごく似合うよ!王子様みたい」
「もしかして今まで作っていたの、これ?」
右手を頭へ伸ばして、確かめてみる。確かに野の草花の感触だ。自分の為に作っていたんじゃないのか?と思っていたのに。
「それ、鬼太郎の頭に乗せようと思って作ったの」
そこまでされていたけれど、鬼太郎は何故だか怒る気になれない。春の陽気に誘われて、花の蜜を吸う蝶を咎める気になれないのと同じような気持ちだった。
ネコ娘の遊びに付き合うと、きっと時間を忘れてしまうんだろうな――そんな言葉が喉の先から出掛かって、ぐっと飲み込んだ。
今まで通り、彼女の側でこうしていられるだけで十分満足なのだから、特別なことをしようとか、無理をして喜ばせなければならないなど、考える必要はないと思う。
ゲゲゲの森へ遊びにくる妖怪は、彼女だけではない。横丁からわざわざ足を運び、自然に触れたい者も実は多いのだ。四季がはっきり映るここは、とてもリラックス出来る空間でもある。そういった穏やかさが、今の二人を包んでいた。
ネコ娘は、鬼太郎が普段より優しい眼差しを向けてくれているのに気がつくと、急にとても気恥ずかしくなってきた。じっとこちらを見ている少年は、明らかに自分を見つめてくれている。
「・・・どうしたの?」
「えっ。別に・・・」
双方共に、ぎこちない言葉が交わされる。
「あ、あれ!見て。レンゲ草!」
気まずい沈黙を打ち消すかのように、ネコ娘は叫ぶような甲高い声を上げ、鬼太郎の肩越しを指さした。
「ああ、そうだね」
鬼太郎は間の抜けたような答えを返し、顔だけそちらへ向け、再び振り返るとまた目を合わせた。
何だかいつもと違って調子が狂っちゃう――と思いながら、ネコ娘は黙ってレンゲ草の群れの方へ走っていく。
自分にだけ優しい目を向けてくれるなんて、今まであまりなかったからだ。
自分の着ている濃い桃色のカーディガンと同じ色をしたレンゲの花を、ポキンと一本手折る。細くて容易く折れるレンゲ草。ぼんやりと花を見ていると、花弁達が小さく寄り添いあっているようだ、と思った。
「今度はレンゲか。いいんじゃない?ここってさ、結構色んな野草があって、食べるのに困らないんだ」
背中越しから鬼太郎が話しかけてくる。呆れる訳でもなく、ごく自然とそうするべきというような口調だった。
「き、鬼太郎はいいの?私と居て」
「何だい?急に」
「だって・・・私が無理やり連れてきちゃって。べ、別に嫌ならいいの、戻っても」
「朝から叩き起こされて、もうすっかり目が覚めたよ。ネコ娘が一緒に来て欲しいって言ったんじゃないか」
確かに彼の言う通り。なのだが、どうも先程からの鬼太郎の態度に、ネコ娘は戸惑いを感じていたのだ。冷静に話しているつもりでも、ちょっとだけ声が上ずってしまう。
「いつものネコ娘らしくないね」
「それは鬼太郎も同じでしょ!」
お互い、らしくない言い合いだ。直後、二人はふき出して笑い出す。ひとしきり笑うと、鬼太郎は今まで被っていたシロツメクサの冠を彼女に返した。
「あ、よく見ると奇麗な花があるんだね〜知らなかった」
落ち着いて辺りを見渡すと、所々にフキノトウやツクシも生えているのが分かる。食べるのに困らない、というのは本当のようだ。
「ツクシだったら佃煮もいいし、フキノトウは天ぷら、蕗は沢山摘めば保存食にもなるよ」
「うん、おばばから聞いた事がある!」
「それから、もう少し経ったら、イタドリの茎も食べられるんだ。河辺に行けばセリもタラノメだってあるしね」
「本当によく知ってるのね、鬼太郎」
「いや、全部父さんから教わったんだ。生活する知恵全般をさ」
父親と数十年二人で暮らしてきた、そんな時間を少しだけネコ娘は想像してみる。
と、それを打ち消すかの様に、パン!と両手を勢いよく赤いスカートの上へ打つと、さっと立ち上がった。
「じゃあ、今から山菜摘みしよう!私、ツクシいっぱい採りたいな」
「ネコ娘、横丁へ行くんじゃなかったっけ?」
「いいの、いいの。だって『予定は未定』でしょ?」
「調子いいなあ」
やはり彼女のペースに巻き込まれてしまう。鬼太郎はまんざらでもない心地で、ネコ娘に促されるままに移動した。
「私、ツクシご飯って食べてみたーい!」
無邪気に言うネコ娘に、一応言っておこうと一言。
「・・・ツクシってさ、下ごしらえ面倒だよ、いいの?」
「ええ〜!そうなの?」
面倒、と聞いて一瞬悩んでしまう。でも、せっかくの二人でゆっくり出来る機会を逃したくない。
「いいよ、頑張るから!」
どうしても、気持ちがそちらへ向くネコ娘だった。
* * *
今頃、あの子達は何をしているのやら――と、目玉の父はポツンと広くなった部屋の中央で、胡坐をかいて思案中であった。
しかし、じっとしているのはどうも落ち着かない。体を動かすことが何より楽しいのだ。息子達を送り出したのはいいが、自分は特にすることもなく・・・いや、様子を見に行こうと、早速化けガラスを呼んだのだった。
「おや?あれは・・・」
上空から見おろせば、鬼太郎とネコ娘の二人が楽しげに野草を採っている姿が見えた。
「横丁へ行ったんじゃなかったのか、珍しいのう」
父はカラスへ降ろす様に命じると、彼らより数メートル離れた場所で降り立った。離れた場所に居ても、いつもより二人の表情が和らいでいるのが、声を聞くだけでも分かる。
目玉の父がこの場に居るとも知らず、鬼太郎とネコ娘は笑い合いながらツクシ摘みをしている。
ここでワシが出て行くのは野暮じゃろう・・・と父親らしく気遣うことにした。背の高い草の陰に隠れて、といきたいところだが、しばらくすると息子に見つかってしまった。
「どうしたんですか、父さん?」
「い、いや〜何じゃ、そのなあ・・・」
慌てて誤魔化そうとしたが、言葉が見つからない。
「今、ネコ娘と二人でツクシとフキノトウを採ってたんですよ」
鬼太郎の様子に、気づいたネコ娘もこちらへ向かってきた。
「親父さん、鬼太郎に色んな事教えてたのね。尊敬しちゃう」
可愛らしく笑顔で話す彼女に、目玉の父は目を合わせると、意味深な笑みを浮かべ
「お前さんにもこれから教えてやろうかのう」
「え?本当?」
「だから、これからも毎朝鬼太郎を起こしに来てくれんか?」
この言葉の意味を理解してるのは、おそらく父とネコ娘だけ。
「え!毎朝!勘弁してよ、ネコ娘」
今日も朝から彼女に起こされ、こうして付き合わされて。そう言いながらも、ほんの少し嬉しかったりもする鬼太郎であった。
ネコ娘の願いが少しずつではあるけれど、いずれは叶いそうだ。何と言っても、父親を味方につけたのだから――。
終わり
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